海を知るか
たりぽん(大理 奔)
はじめて海を知ったのは
函館山の東側、岩だらけの海岸でした
あちらこちらに見える対岸の
私との間は早波で仕切られ
たくさんの潜水艦が行き来しているのだと
おじいちゃんに教わりました
次に海を知ったのは
横浜の有名な公園でした
右目の手術をした帰り道に
埠頭の先で外国船を見ようねと
優しく手を引いてくれたのは
おかあさんでした
海を知ったのはたぶん
白浜の海水浴場でした
ホテルの小さなディスコで踊った後
静かに寄せる浜辺の波紋のように
私はいくつかの眩暈を
覚えたのでした
海を知ったのはきっと
土佐中村に向かう海岸線でした
台風が二つもやってきて
街灯もまばらな国道を洗う
激しい波飛沫をくぐり抜け
帰り着いた先に待っていたのは
、
いつの日からか
海はいつでも胸の中にあって
そして、いつまでも視界の外にあって
ゆっくりと、荒々しく
優しく、そしてそれに恐怖しながら
まだ生まれていないかのように
身を任せてしまうのです
ああ、それはどんなにか
どんなにか残酷なことなのでしょう
胸の中の海を知り
自分の外の海を知り
恐ろしく世界は優しく深いのだと
波はどこまでも冷たいのだと