そして あなたの中へ
杉菜 晃


 あなたの瞳は美しい
 四囲の変化や季節の移ろいにも
 敏感に反応し
 あますことなく映し取ってしまう
 だからぼくは あなたを見ていさえすれば
 それでもう
 世界を手に入れているようなものだった 
 目の前の風景どころか
 過去 現在 ときには行く末のことまで
 あなたの美しい瞳は映しとって
 輝いていた

 ところが あなたの瞳は
 すぐ目の前にいる当のぼくを
 捉えていなかった
 あなたの瞳に顔を近づけてよく見ると
 ポメラニアン マルチーズ シャムネコ
 ミケネコ カナリヤ セキセイインコ
 なんかは、ちゃんと捉えているのに
 どこをどう探しても
 ぼくの姿を見つけることはできなかった

 ぼくはたまらず
 あなたに詰め寄る
 ぼくはどこにいるんだよ
 君にとって
 ぼくはどういう存在なんだよ
 と

 するとあなたは
 こんな問いかけを受けること自体が
 不当だというように
 とろんとした目色になって
 もう瞳にはシャッターが下ろされ
 何も捉えていないのだ
 瞳どころか
 あなたの顔全体がくもってしまって
 憂鬱な五月雨の風景になっている

 ぼくは分析による解明をあきらめ
 自分をむなしくすることを試みる
 だってあなたのなかに
 ぼくがまったくいないのなら
 こうするしかないからね

 そしてあなたの中にすっぽりと入って
 あなたになりきって生きる
 細いほそい道のあることを発見したんだ
 意気地のない生き方であることは
 分かりきっているけれど
 ほかに方法がないものね
 ぼくはこれまで自分の中に
 あなたがあるのと
 変わりなく
 あなたのなかに
 ぼくがあると
 思ってきたんだから
 それがあなたの言葉を待つまでもなく
 あなたの網膜に
 まったくぼくの像が結ばれていないのを
 見てしまったんだものな
 こうなると
 こちらから滲入するしかないよ
 といっても 
 進入でも、侵入でも、浸入でもない
 薬品が沁みこむような
 静かな滲入だから
 あなたは気づかない

 ぼくはしばらく外国を旅行すると
 あなたに言い置いて
 あなたの中へと旅立つ準備をはじめた
 こんな方法を取った例が
 これまでひとつもなかったわけじゃない
 たとえば阿古屋貝に
 異物として入り込み
 核となって真珠を結んでいくのがそれだよ
 人の歴史のなかにだって
 それはある
 このままでは
 とても自分の存在を信じてもらえない
 というので自分をむなしくして
 人のなかに入った例が

 そんなわけでぼくはあなたに別れを告げて
 あなたの中へと旅立って行った 
 あなたはぼくを送っても来なかった
 それはいいことだった
 一度乗船して
 すぐ引き返してくるなんていう
 芝居がかったことを
 しなくてすんだからね


自由詩 そして あなたの中へ Copyright 杉菜 晃 2006-07-02 13:07:14
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