帰りのJRまでにはまだ三時間ほど余裕があった。真冬の札幌で所用を済ませたあと迷わず向かった先は、昨年11月にオープンしたばかりの丸井今井札幌南館内シアターコムサ。その中にあるカフェ・コムサでケーキを食べたかったのだ。カフェ・コムサは今のところ北海道にここだけしかない。
ショーケースに並んでいるスペシャルなホールケーキたち。値段もスペシャルだ。1ピース600円。ケーキが異常に安いことで知られる私の街・帯広では考えられない値段、老舗でも同じ値段で4ピースは買えてしまう。しかし値段など関係なかった。今日はデザートタイムを贅沢に過ごそうとはじめから決めていたのである。
案内されたテーブルでメニューを広げ、コムサブレンドのホットティとベリータルトを注文する。カフェ内はほの暗く、しかし陰気さは微塵も感じられない。木目調のライトブラウンのテーブルと、黒に近い濃紺のフェイクレザーチェアがゆったりと配置されている。
ケーキが届くまでの間、しばし読書にふける。天井から、ちょうどよい角度と光量で各テーブルが照らされている。私のテーブルに射す、私のためだけの灯り。機内灯が消された最終便の飛行機内で客室乗務員にピンライトを射してもらった時の感覚に似ていた。客のそれぞれが自分のためだけのライトの下でそれぞれの会話を弾ませている。
ベリータルトは絶品であった。ショーケースの中でベレー帽のような膨らみをもって鎮座していたその形のままカットされたタルトの上には、ブルーベリー・ラズベリー・クランベリー・ストロベリーがふんだんに盛られている。それらとタルトの間にあるクリームチーズの層と一緒に口にはこぶと、甘味と酸味、香りがふんわりと踊る。ベリーの味で充満した口の中を中和させるため紅茶を口にしながら、そしてゆったりと読書しながら、タルトを食べ終わった。
チェアと同系の濃紺のミトンに包まれた白いティーポットには、まだもう一杯分の紅茶が残っていた。どうしよう……あまりに幸せただようショーケースの中、もう1ピース食べたくなって迷っていた。ザッハトルテにしようか、それともまたショーケースを見に行こうか……と席を立とうとした直前、ウェイトレスが微笑みながら静かに私の席にやってきた。
「失礼いたします、ただ今試作品で紅茶シフォンを焼いたのですが、よろしかったら召し上がっていただけますか?」
驚いた。これはたまたまのことなのか、毎日行われているサービスなのかは判らないが、ウェイトレスは賑わっているカフェ内の私だけに声をかけたのだ。不思議な気持ちとともに、嬉しさが込み上げる。よろしいのですか?
「ありがとうございます、ぜひいただきます」
二人で静かに微笑みあう。
二杯目の紅茶をカップに注いでから角砂糖の包み紙を剥がし(久し振りに包み紙のある角砂糖で紅茶を戴いた。近年はどこもスティックかポットのグラニュー糖、あるいはロックシュガーなのである)、スプーンに乗せて静かに浸していった。紅茶を吸い込み、角のほうからやわらかく崩れてゆく角砂糖。カップの中でゆらゆらと甘い影がゆれる。
運ばれてきた新しい皿には、可愛らしくカットされたシフォンとココットに入った五分立て生クリームが鎮座している。先ほどのベリータルト同様、ほどよくあたためられた皿。生クリームに飾られたミントの緑。コムサのロゴで統一された食器、カラトリー。ウェイトレス・ウェイターのスマートな立ち振るまい。
私は心底くつろぎながら、しかし確実に酔いしれていたと思う。文庫本を広げ、カップに手を伸ばし、ケーキを口に運ぶ。こんな、今までに何百回と経験してきただろう午後のカフェでのひとときをこんなにも自然に贅沢に過ごしたことは、おそらく片手で数えるほどしかないだろう。
すぐ隣のテーブルにも女性二人の客がいたが、周りのおしゃべりなど不思議なくらいほとんど気にならなず……いや、正確に言えば周りの客たちもカフェのインテリアのようで、その時間だけはあの空間が私だけのためのカフェと化していたのだ。
オリジナルホットティーとベリータルト、合わせて1200円。ヘタをするとランチよりも高い価格だ。だがその価値以上のひとときを私は充分に満喫した。贅沢とは、味わう食べ物の美味しさだけではなく、まして価格だけでもなく、目には見えないレベルの行き届いたサービス、その雰囲気、その店が持つ空気そのものなのだ。
私の声は自然とより低く穏やかになっていた。
「タルトもシフォンも美味しかったです、素敵なひとときをありがとう」
カフェを後にし、丸井今井を出ると外は雪模様であった。舞う程度、そんなに気にはならない。私は傘をささずに歩き出した。風も吹いていたが、私は芯から温かかったのだ。
(2003.01.28)