鉄筋コンクリートの解体風景の前に
バンブーブンバ

地響きひとつ。またひとつ。灰色の仮囲いの隙間から、黄色のユンボー。
引き裂かれたアパート。ざくざく歯先を確かめるように、太陽を何度も掠めて振り下ろされる。
断面図は美しいと思った。断面図の発見と人間の知恵とは何かつながっているもののように思われてくる。
床スラブから壁から柱からヒラヒラしている鉄筋の、その先のほうにぶら下がるコンクリートの重みは、
地響きと調子をとって、あちらこちらでヒラヒラ、ヒラヒラさせている。
解体風景は、結婚と離婚を粉塵のように溜めているみたいだった。そう、結婚と離婚。
鉄筋コンクリート。
少し紐解いてみた。
関東大震災を皮切りにして、煉瓦造にとってかわって、街のあちらこちらで生え始めた鉄筋コンクリート。
そもそもこの建築資材は、相互の弱点を埋め合わせるかたちで生まれた。ありきたりなお見合いだったようだ。
圧縮の力に強く、引っ張りの力に脆いコンクリート。圧縮の力に脆く、引っ張りの力に強い鉄筋。
そうして、生産性の高さ。
子沢山に、戦後は、わいた。
幸せな結婚。
だった。いくつかの不思議なことを横にして。
不思議なこととは、たとえば、鉄筋コンクリートのお家に潜むねずみたちは、攻撃的になり、
しまいに母親が子ねずみを食い殺してしまったことがあった。
真面目な科学者たちは早速、実験を始めた。
木箱、鉄箱、鉄筋コンクリート箱の3つを用意して、ねずみを100匹放し飼いにした。
生き残ったねずみの数は、木箱85匹、鉄箱41匹、そして鉄筋コンクリート箱の7匹だった。
何度やっても10匹にも届かなかった。木箱では、いたるところで母親ねずみが子どもに毛づくろいをしていた。
シックハウスではないらしい。何も検出されない。とりあえず、コンクリートストレスなんて名付けられた。
マスメディアは時代といっしょに坂をのぼる。日本経済新聞の小さなコラムに彼らはぽつんとおかれただけだった。
もちろん、そうしたことというのは、思いがけないとろころからほつれて来るもので、
ひび割れをピシピシ誘発しはじめた鉄筋コンクリートは、耐久性の悲鳴をあげる。
30年。
いちど劣化しはじめると補修は効かない。解体しか、ないのだという。
解体と一口にいっても、鉄筋とコンクリートの分別は50年先でも不可能な一事業のようだから、
科学者たちはまたも呼ばれて、日夜奮闘を今でも続けている。
絶望的認識のもとでリサイクルの研究を命ぜられ、かたやユンボーの歯先だけが磨かれているだけなのだけれど。
離婚。
犬も食わないということなのだろうか。
だた、それにしても、仮囲いから眺める解体風景は美しい。
なんといっても引き裂かれるこの擬音というのは、
鼓膜に質量の計測を訴えかけてくる。とても、重たい。
破片をひらう。
結構しっかりしている。錆はコンクリートにその手をのばす。
海浜へ埋められる。のか。
また、その上に、鉄筋コンクリートがたつ。
解体される。うん。
よくある話だ。
破片を落とす。
いつのまにか手のひらは切れている。血が出ていても、痛くもかゆくもないけれど。
現場監督は安全帯にヘルメット。あぁ、


おつかれさまです。






散文(批評随筆小説等) 鉄筋コンクリートの解体風景の前に Copyright バンブーブンバ 2004-02-17 21:00:26
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