落下する男
千月 話子

ああ、男は36階の屋上で
誰一人居ない 屋上の一角で
この世の切なさと
この世の厳しさに
ゴクゴクと酒を飲む
だが、しかし
不本意にもああ、不本意にも
足を酔いに取られ
誤ってフェンス超え 
= 落 下 す る =
のだった あああああ、、、


ビルとビルの谷間から渦巻く
びゅるるるる・・と鳴く音が聞こえてくるよ
もう尻から1メートル下を
冷えた風がやって来て
腹を壊しそうだ
ああ、もうそんな事はどうでもいいじゃないか
羞恥心も強風に奪われて
ユルユルと下してしまえ!


爆風のように吹き上がるビル風は
神の御手か 更なる不条理か
小さなプラスチック球を
下からフーと吹くように
いつまでも ゆらゆらと
宙に停滞しながら
落ちて行く 男であった


心地良い ああ、なんて心地良いのだろう
35階のレストランで
カレーを頬張る少年の
それは 甘口であろうか
上品に銀色の器から
少しずつ白飯にかけて食べるな
ぐちゃぐちゃと掻き回せ
それが 男だ!


27階の窓辺に飾られた
あの花は・・・ガーベラだ
昔好きだった女に貰った花の名を
忘れられない 忘れられない
妖怪のようなその ごつい名に
相応しくない鮮やかな花弁よ
西洋の花を持つ
女の瞼は一重だった


18階の男子トイレで
後ろから羽交い絞めされた
若い男と目が合った
瞳から(助けてくれ)と懇願されても
死に行く男だ
許してくれと手を合わせ
ひらひらと手を振った


15階で はたと気付く男
ああ、手紙をボロ机の上に置き忘れた
こんなこんなこんな こんなことになるならば
懐に入れて持ち歩けば良かったのだ
「さようなら」と書いた手紙を


じたばたと悔いの残る男
相変わらず風に煽られ13階
閉じられた窓 
鏡のように空映す窓 ふと見やれば
仰向けに落ちて行く男の背中
無数の人々が
空に生える実の根の如く
びっしりと 支えているのであった


時代の違う 人種の違う
人々の顔は なぜか
男の顔と同じであった 
「まだ まだ まだ」と
合唱する雑多な声ではあった が
力強く(生きたい!)と願う男であった
何百分の一の魂の欠けてはならぬ
男であった・・・。


空白と空白と空白の後
不可思議に現れた
それはそれは 美しい手
受け止められた男を
優しく包む大きな手であった
柔らかな指先をくすぐるように
ゆっくりと降りて行く
男の着地を助けたのは
釈迦の手か またもや不条理か


地に横たわる男
何処からやって来たのか
現人は気にも留めず行き過ぎる
この世にはおかしな事があり過ぎるのだ


ああ、、気掛かりは
トイレの窓越しに見捨てた男
潤んだ瞳と震える唇を思い出しては
何故か 駆け巡る血液の中心に集まる
不謹慎な 男であった


ひゅるるるる と風の吹いて
巻き上がる砂埃に
あいたたた! と
目をやられる 男であった


これからも これからも
宜しく 世界よ。






自由詩 落下する男 Copyright 千月 話子 2006-05-18 00:02:23
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