生後
岡部淳太郎

間違いを犯さずに
生きていようとつとめてきた
  少なくとも
    大きな間違いだけは

生後 という
言葉がある
生まれた 後
という意味だが
つまりはこの世に参入してからの
ことを言うのだが
生の 後
という意味にも
とれるかもしれない
生まれて 生きて その後
つまり 死 だ

こんな言い方をするのは
間違っている だろうか

僕のもとに訪れる
生のように長い詩を書いた後の
死のように長い
長い空白

黙っているかぎり
間違いを犯すおそれはないと
思っていたのだが
黙っていること自体が
間違いである
そんなこともある

間違いを犯さずに
生きていようとつとめるのは
息が切れることだ
  生きて 息をしていることすら
    間違いであるかもしれないのに

僕がいままでにしでかしてきた
たくさんのささいな間違いが
あふれて
喉につまる

生後
三十九年
約四十年間
生きてきて
生きていると
思ったことが
あまりない

これはまさしく
生の後の
人生ではないか

僕は生きているのか
または 死んだように
生きているのか
僕は今日も三分の二ぐらい死んだようになって
生きた心地がしなくて
仕事をぬけだして
煙草が吸いたくなって
  下に降りた
    外に出た

僕自身の
生の跡地に立ち
まだ寒さののこる外で
煙草を吸った

少なくとも
ひと時だけの
このかすかな酔いは
(間違いなく)
生きている味だ



(二〇〇六年四月)


自由詩 生後 Copyright 岡部淳太郎 2006-04-17 22:10:16
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