坂の上の、店にて
日雇いくん◆hiyatQ6h0c


 自宅から程近い坂の途中に、その店はあった。
 行きつけの、カレー屋だ。
「おばちゃん食堂」という名が付いてはいるが、知る人ぞ知る、ちょっとしたカレーを作ってくれる店だ。
 私用で人と待ち合わせるついでに、そいつを楽しもうと、今日も、この店に来たのだ。
 席につくと、タバコをポケットから出して、注文した。
「いつもの、な」
「あいよぉ!」
 小気味いい店主の返事を聞くと、タバコに火をつけた。待ち人がくるまでに30分あった。食べ終わる頃には、そいつも来るだろう。ここのカレーを、ヤツと一緒に食う気は初めから、ない。
 タバコが2本目を終わる頃、店主がやっと品を持ってきた。
「お待ちどう!」
「おっ、今日もうまそうだ」
 品は、見た目にはなんて事はない、ごく普通のカレーだ。しかし、独特の香ばしい匂いが、食欲を強くかき立てる。
 早速口にすると、なつかしい味がする。
 お袋の作ってくれた、あの、カレーの味が。
 小麦粉とラードが多めに入った、こってりとしたルー。それによくからんだ、分厚い豚バラ肉。そして、不器用に乱切りされた、程よい硬さに煮えた根菜類。故郷から離れて暮らしている者として、子どもの頃から馴染んでいる、忘れられない、その味。
 一気に平らげると、つい声をあげた。
「ごちそうさん。お冷や!」
 またタバコに火をつけると、しばし、至福の時をたゆたう。この味がある限り、何年たっても、この店に来続ける事だろう。これも、己の業というものなのか。
「美味かったかい!」
 店主が、冷やを持ってきた。
 毎回、この味に感心させられるので、来たついでに、ふと尋ねてみた。
「ああ。いつも美味いよ……、しかし、どうしてこのアイディアを思いついたんだい?」
「ああ、近頃インドだの何だのって、本格的なもんばかり流行るじゃないか。でもね、日本人には、日本人にあったカレーってもんがあるんじゃないかって、思ったのさ。ついでだから名前もシャレでつけてみたら、思わぬ売れ行きさ。あんたにも気に入ってもらってよかったよ」
「ああ、どういたしまして」
 同じ意見だった。この街に住んでいる事が誇らしくなるくらいだった。
 そんな店主に感謝しつつ、壁に貼り付けられているメニューをふと、見た。お袋も傍にいない今、この店だけが、懐かしく、忘れがたい味を作ってくれるのだった。その事を雄弁に語っているのが、そのメニューだった。
 そいつには、こう書いてある。

「ハウスバーモントカレーだよ〜 リンゴとハチミツ とろ〜り溶けてる」

と。




散文(批評随筆小説等) 坂の上の、店にて Copyright 日雇いくん◆hiyatQ6h0c 2005-12-31 00:04:54
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