愛が潰えた日に男は自画像を描く
恋月 ぴの

− 愛は確かに潰えた


  男の心に残っていた僅かな温もりを奪い去る良く晴れた或る冬の日の未明 月光に射貫かれた眠れぬ夜に 愛は国道246号線池尻大橋近くの交差点で潰えた 間断なく走り去るヘッドライトは流れる星のしがない独白 手の届かぬ想いの虚しさに堪えかねたのか 襤褸切れのような無残な姿で愛は道路脇にその身を横たえ 心の奥底より搾り出した絶望の呻き声をあげて愛は確かに潰えた


− 男は自画像を描く


  イーゼルにF6号のカンバスを乗せ 哀しみに震える左手で手鏡を握りしめ 鏡の向こう側に居る愛の潰えた男の顔を見入る 不揃いの睫 泣きはらした瞼 歪んだ鼻柱と汚らしい無償髭 確かに男は涙を流していた 潰えた愛の儚さに涙を流しながら イーゼルの傍らの木箱より使い慣れた木炭を手にすると無造作に描く 鏡の向こう側にいる男の顔を 此方を情けない顔で見つめてくる男の顔を


  フィクサチーフを軽く吹き付ける イエローオーカーと交叉する木炭の囁き 亜麻仁油の嗅ぎ慣れた匂い 鏡の向こう側の男をF6号のカンバスに油絵具で閉じ込め ふと窓の外を見やると 晴れ渡った空と澄んだ冷たい空気の向こう側に立ちすくむ男の姿に気付く 月光に射貫かれた眠れぬ夜に膝を抱え泣き腫らした男 潰えた愛の儚さに涙を流した男 カンバスの向こう側の空は晴れ渡り 窓の外の空もまた良く晴れている


  窓の外から男が何かを問い掛けてくる 確かに男はF6号のカンバスに閉じ込められた男に何かを問い掛けた 愛とは 夢とは 希望とは そして絶望とは そんな事を問い掛けているように思え 描きかけの自画像をイーゼルに乗せたまま 木炭の囁きに導かれるようにして 男はカンバスに描かれた深い森の奥へと消えた


自由詩 愛が潰えた日に男は自画像を描く Copyright 恋月 ぴの 2005-11-22 07:16:58
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