西域に消える
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 その一行が消息を絶って、もう十年が経とうとしている。
 彼らはシルクロードのオアシスの街で忽然とその姿を消した。一行を率いていたのは、私のかつての仕事仲間で、彼は日頃からいつ消えてもおかしくない雰囲気を漂わせていた。だから、私は彼が消えたと聞いても奇異な感じがしなかったし、むしろやはり消えたか、という思いの方が強かった。これから語るのは彼等が消えていった状況の、星の数ほどある仮説の一つであるが、私が最も支持するものである。

 以下は彼の一人称で。 

「あれが火焔山です」
 ガイドの陳さんが前方を指差して言う。我々一行の周囲には、昔の京王線のようなくすんだ緑色のマイクロバスがあるだけで、他には砂しかなく、陳さんが指差す遥か前方で巨大な岩山が陽炎にゆれている。
「三蔵法師がここを通ったとき、この辺り一帯は火の海でしたが、あの山から妖怪が降りてきて、大きな団扇で扇ぐと火は消えました」
 もっともらしいことを言うが、何かすこし違うぞ? 今回のお客はとりあえず物知りばかりなんだから、いいかげんなことを言ってもらっちゃ困るんだぜ。この人たちは学校の先生で、区役所職員や警察官と同様、添乗員を泣かせる人たちなんだから。  
 しかし、先生方は陳さんのヨタ話につっこみを入れることもなく、呆然と前方の岩山を仰ぎ見ている。本当はもうホテルに帰りたい、いや、日本に帰りたい、とさえ思っている先生もいるに違いないのだ。このツアーが始まるまでは他人同士だった先生方は、互いに遠慮し合い、行程をきりあげてホテルへ戻ろう、とは言い出せず、そういうところはじつに先生らしくはある。

 我々は万里の長城の西の端からここタクラマカン砂漠のオアシスの町トルファンまで小さなバスに乗ってやって来た。飛行機が欠航し、宿泊予定のホテルの予約も組替えられなかったから、バスを仕立てるしかなかったのだ。バスが砂漠に入って暫らくは、蜃気楼や白骨化した駱駝に先生方も喜んでカメラを向けていた。しかし途中、こともあろうに、バスのエアコンが故障した。8月のタクラマカン砂漠でだ。先生方の一人が古新聞を濡らし窓ガラスに貼り付けようと提案し、そうしてみたが摂氏五十度の砂漠は我々を遠慮なしに灼いた。地平線の彼方でゆれている蜃気楼は、熱帯植物の茂る南洋の小島のようであり、たまに出ればいいものを、さっきから出っぱなしで、ありがたみがなくなってしまったし、駱駝の白骨死体はここまででもう五体は見ただろうか。エアコンの故障で、備蓄してある水も湯になってしまい、あとどのくらいでトルファンへ着くのか陳さんにそっと訊ねると、それは成田からハワイまでのフライト時間に等しかった。
 私は消えてしまいたかった。灼けたバスのなか、私が許される雰囲気はない。エアコンが壊れたのは、とどのつまりそういうバスを手配した者が悪い、つまり観光会社が悪く、おまえはその一員であろう。無言の糾弾が最前席に座る私の背中を刺し、私は何を思ったか、まだ壊れていないカラオケで「昴」を唄ったが、疎らな拍手のあとで、振り返えり愛想笑いを向ける気にはなれなかった。すがる気持ちでとなりの座席の陳さんに目を向けると、陳さんは膝の上に書物をひろげ、その横顔は私とは決して目を合わすまい、と決心しているようであり、陳さんが読んでいる本に目をやると、それは「地球の歩き方/シルクロード」で、いっそう消え入りたい気持ちが募った。
 千Kmの灼熱の果て、どうにかこうにかトルファンに辿り着いた。ホテルへチェック・インし、シャワーで汗を流した我々はダイニングに集合し、大きな丸いテーブルに総勢十人が集った。夕食のメニューは中華スタイルで、大皿の料理が次々に運ばれてきた。それを各自が小皿に取り分けて食う。確かに中華ふうの味つけがしてあるが、肉類は全て羊である。この辺りは回教徒が多く、彼等は豚を食わないし、牛はこの辺りでは嗜好品である。私はどうにか機嫌が直ってきた先生方のためにビールを注文した。しかしエキゾチックな中央アジアの美少女が運んできたビールは生ぬるかった。訊けば、厨房の冷蔵庫が故障したのだ、と言う。断じて私のせいではない。しかし私はまた消えてしまいたいような心持に陥った。

 ここウイグル自治区は、行政的には中国だが、住んでいる者の大半は漢民族ではない。彼らの多くはトルコ系の少数民族で、市街地にはバザールが立ち、街はずれには外壁に幾何学的な模様が施されたモスクもある。
 モスクの隣にはレンガ造りの小高い搭が建っていた。我々は塔の内側の螺旋階段を最上階へまで登った。詰まれたレンガの歯抜けの窓から見下ろすと、モスクの天辺の三日月を象った紋章が強い日差しに反射して鈍い光を放っていた。
 街へ戻るバスは乾燥しきった土の道を土埃をあげて疾走した。市街地の入り口に立ったバザールを通り過ぎたとき、驢馬に荷車を曳かす老人とすれ違った。回教徒に特有の、河童の皿のような白い帽子を頭に貼り付けた老人は、私に皺々の笑顔を向け何か叫んだ。おまえなんざ、さっさと消えちまいな。翁はそう叫んだのかもしれない。

 一夜明けて、きょうはこのオアシスの周囲の遺跡群を観に行く。二千年まえの貴人のミイラが埋葬されている遺跡や、三蔵法師が滞在したと言い伝えられる遺跡を周って、やれやれクソ暑いなか、我々はここ火焔山の麓までやって来て陳さんの与太ガイドを聴いている。
 しかし、砂漠に点在する遺跡はどれもこれも建築用の造成地ようで味気ないこと甚だしい。涼しいお茶の間から、腕の良いカメラ・クルーが撮った映像を良い声のナレーションで見るのとは大違いだ。しかし、それはどうやら私個人の感慨ではなく、このツアー一行の全員が掛かってしまった集団催眠のようであり、つまり消えてしまいたいのは私だけではないようだ。
「陳さん、もういいよ。ホテルに帰ってシャワーを浴びようよ」
 見ると、陳さんの下半身が透き通り始めている。先生方の何人かはもう全身が透き通り、輪郭だけが陽炎にゆれている。私はすでに輪郭すらぼやけはじめ、時空の彼方に消える準備は整った。


                      〈了〉


散文(批評随筆小説等) 西域に消える Copyright MOJO 2005-10-20 13:06:37
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