今まで 。   
すぬかんながぐつ。 

いままで すなおに おやにあまえることが できなかった。それは はずかしいけど親離れできていなかったから。わたしは ちゅうがくのときにこちら 大阪にきて それまでの なにもかもと じんせいが かわってしまった。一流の ピアノの せんせいにつき (おじいちゃん先生。)。それまでの ゆっくりと した ほうらつな じかんの 流れから 放り出され まいにち お風呂で なんで こんなに じかんが速く 過ぎていくんだろうかと ひざを かかえていた 。その せんせいはとても よい せんせいで キリスチャン でも いらした 。それでも ちゅうがくにねん のときに おんがくの みちにすすみますかといわれ 訳もわからずに うなづくしか なかったのは わたしに とっては おおきな ことだったかも しれない 。いなかでノンビリ piano を さわっていた わたしに イキナリノ 何か おおきな きょらい。だったのだろうか。それでも先生は とても よい先生で いろんなことをわたしに 教えて くださった。それからも いろんなことが あった。 と 言うべきかそれより 音楽で ざせつしてもう なにも なくなったと 言うべきか わからない。したしかった 精神科のおいしゃさんが やめてしまわれたり とちゅうで 放りだされた きぶんで 医者を転々と する ほか なかった 気持ちになったこと じっさいまいちに まいにちとおい ところまで いしゃ がよい したこと するしかなかったこと つらかったなあ。友だちはみんな あたしが ビョウキニなって いなくなっちゃった。 でも みんな タイセツナたいせつな心の ともだ。 タイセツニあつめた しゅぎょく のような 友だちだ。だから また 鎖が ちぇーんが ツナガッテ わたしの ねっくれすが 戻ってくることも あるだろう。なんで こんなことを 長々と 書いたかといえばふたつある 。せいしん
いがく しんりがくではこんぷれっくすと いえば 皆さん 御存知の ように 劣等感というよりも せいしんの複合体 の ようなものを示す のでは ないかと おもうが わたしが 親からのかっとうを 離れるとやっぱりコンプレックス が減少 して せいしん的 なこんぷれっくすからくる 症状 が へる と いうことだ まだすこし残ってはいるが それはおどろくほど ちょっけつしているようにも おもう。あともう ひとつは わたしが こんな クナンナ みちを 辿ったのは やはり 理由 や 何かの えいきょうは 在ったにせよ わたしの たましいが わたしの コウロヲ きめた と いうことだ 。ただ たましいが このような 訳のわからないコウロヲ 取らなくても すむように なにか 心の アンテイニ ツナガルものがいえにあったら どんなに 良かったかと おもう 。にっぽんじんは 江戸時代か 何かに こせきじょうの理由かわからないけれど すべてのいえが どちらかの 宗派の檀家 に なった と 聴く。それは とても 大きな事では なかろうかと わたしは ひとり 思っている 。 以上つまらないこと も 書きましたがこの しゅきがかけたということを わたしは 深く 感謝する。 します。スヌカン。 きましばんし 。かんしゃ がっしょう。 さいはい 。                    


未詩・独白 今まで 。    Copyright すぬかんながぐつ。  2005-10-08 06:13:03
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