孤狸庵先生の面影を探しに 〜‘04 8月 Poete on the Road 旅行記より〜
服部 剛

*前編*

 去年の夏、僕は声をかけてもらっていた詩の朗読イベ
ントの出演も兼ねて、神戸への旅に出ていた。旅に出る
と決めた時から、僕が敬愛する故・遠藤周作先生が幼い
頃に母親と通ったカトリック夙川教会を訪ねたいと思っ
ていた。阪急の高速神戸駅発の電車に乗ると、車窓の外
には六甲山が近く、のどかな風景を見ながら列車に揺ら
れながら、「これから憧れの遠藤周作先生がいた場所に
行く」という想いを静かに味わっていた。
 夙川駅を出て、坂道を歩いていると、やがて白い立派
な建物が現れ、そこが「カトリック夙川教会」であった。
大きい門を抜け、教会の脇にある事務所で「この教会は、
作家の遠藤周作さんが子供の頃、母に連れられてよく来
たそうですが、どなたか当時の事に詳しい方はいますか?」
と尋ねると、中年の男性は「そういう人はいませんが、
話によると子供の頃の遠藤周作さんは静かな教会の中を
「たったったっ!」と走り、神父さんに「コラッ!」と
怒られたりしていたそうですよ。」と教えてくれた。
 教会の中に入ると人は誰もいなかった。子供の頃の遠
藤周作先生の幻が、祭壇へと続く教会の中の真ん中を元
気よく走っていく姿が見える気がした。入ってすぐ、左
の壁を見るとマリア象が立っていたので近づいて見上げ
ると、そのマリア像は僕が今まで見たことのあるイメー
ジとは違い、ふっくらとした笑顔の、関西風?のマリア
像だった。幼子を抱いたその胸には、あふれるほどの桃
色の薔薇を抱いて、その中の一輪を手にしてこちらに手
渡そうとしてくれているので、僕はマリア像がわたそう
としている薔薇を握ってみると、自分もこのマリア像の
ように、あふれる愛情を胸に生きれるような気がしてきた。
 僕は教会の中の真ん中の道を前に進み、祭壇の前にひざまず
き、窓から射す日の光に白く照らされている、十字架に
かけられた人を見つめ、合わせた両手を額に当てて、目
を閉じた。祈りながら、夙川に来る前に神戸港のポート
タワーから震災復興後の神戸の街並みを見つめていたら、
不思議と僕に勇気を与えられた感覚や、神戸駅の地下道
で行われていた原爆展の写真で見た悲惨な情景や、そし
て愛と幸せを探して頼りなくも途上の歩み続ける旅人の
自分の姿や、いろいろな想いが胸の内に巡り渦巻いてい
るのを感じながら必至に祈っていると、何故か絞るよう
な涙が、汗と共に頬を伝った。無人の教会の外では、蝉
がしきりに、鳴いていた。

*後編*

 教会を後にすると、僕は想いを寄せていたIさんも大
阪を旅していると聞いていたので、コンビニの公衆電話
から今日会えるかどうか聞く為に、Iさんの携帯の番号
を押した。

「都合よかったら、
 僕は今夜鎌倉に帰るから美味うまいもんでも食べない?」

「う〜ん、今日は友達といるから。」

「そっか、都合悪いね・・・
 それじゃあまた。Iさんも旅を楽しんで!」

 僕は受話器を置いた。食事に誘いながらも、昨夜顔を
合わせたイベント後に、Iさんが他の男と街に消えてい
った場面が頭によぎったので、無理を言ってまで会いた
いとは思わなかったが、後悔を残して鎌倉に帰るのは嫌
だったので、電話だけはしてみた。
 とぼとぼと坂道を下る僕は見上げた青空にうっすらと
浮かんだ敬愛する遠藤周作先生の微笑みに向かって、
「狐狸庵先生、やっぱり僕は、ふられちゃったかなぁ?」
とにやけてみた。空腹を感じていたので、駅前の飲食店
街に入り、そば屋で天せいろを食べた。美味しいそばを
すすりながら、なんだかとても寂しい気持に覆われた。
「今回はいい旅をしているけれど、やはり胸にはぬぐ
きれないものがある。」ということを感じた。

 店内のテレビには、僕がいる夙川からそう遠くない場
所で行われている夏の甲子園大会が映り、勝利した高校
の坊主頭の選手達がグランドに横一列に並び、大きく口
を開けて校歌を歌っていた。画面には「胸を張れ、真理
きわめる為に」という校歌の歌詞が白い文字で映されて
いた。
 寂しくそばをすする僕の前に、再び狐狸庵先生の微笑
む面影がぼんやりと浮かび、

「 なぁ、「男はつらいよ」の寅さんだって、
  何度もフラれているじゃあないか、
  そういう哀しい経験を糧にして、
  いいものを書きたまえよ。       」

 その一言だけ言い残して、狐狸庵先生の面影は消えた。
僕はIさんに会えなかったということよりも、うっすら
と浮かびあがった狐狸庵先生の面影のあたたかい慰めを
感じ、瞳にたまった涙が、頬に流れた。僕は席を立ち、
レジのおばさんに「鎌倉から来たんですけど、関西のお
そば、美味しかったです。」というとおばさんは優しい
笑顔で「また、こちらに来たらお越しください。」と言
ってくれた。
 飲食店街を出た僕は、青空に微笑む狐狸庵先生の面影
を振り返り、密かな約束と決意を胸に秘めて夙川駅の改
札に入り、再び列車に乗った。 


 * このエッセイは「周作クラブ」の会報(20号)に
  掲載した文を加筆・訂正したものです。    





散文(批評随筆小説等) 孤狸庵先生の面影を探しに 〜‘04 8月 Poete on the Road 旅行記より〜 Copyright 服部 剛 2005-10-03 00:01:39
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