飛光
ワタナbシンゴ





おぎゃあ
 
 
 
 
一字一句間違わないように強要された私のからだに
それとなく触れるだけであなたは最前列から並べら
れた裸体ばかり順番に、顔だけは別にするようです
ね、私的な懇談会は繰り返された。化学反応を起こ
させるかのような指の動き。わたしはその指だけに
すべてを捧げようとしています。笑顔も知っていま
す、快楽だけの愉悦も知っています、どうかそれだ
けのためのわたしを見てください。世界の結合部を
誰もが隠したがるから、わたしはパックリと劈かれ
るとき、深淵を何度も何度も知るのです。わたしの
襞は分厚く恥ずかしいの。だから後ろの穴にしてく
ださい。どちらかというと困ったような顔がわたし
のチャーミングだと、みんなが褒めてくれます。魔
法瓶ももらいました。よくみて下さい。わたし、み
て。赤いんです。こんなにも。そうです、ここが最
果てなのです。
 
 
 
 
おぎゃあ                
 
 
 
 
スペインの西の端にフィニステレという村がある。
ただいたずらに霧深い、人口200人あまりの寒村だ。
わたしはそのころリスボアから自転車を漕ぎ500キ
ロ、ただいたずらに東を目指していた。フィニステ
レという、スペイン語で【地の果て】を意味するこ
の村は、むろん東には位置しない。ひがし。この地
球にあってなにを意味するものが東を定義づけてい
るのだろう。わたしはただ球体に沿って自転車を漕
いでいる。海辺で猫が一匹ニシンをかじっていた。
かのじょもまた最果てなのだろう。ここから先は大
西洋。いや大西洋ですらなかったコロンブス以前の
何億年、地球はこの霧深き村に終わっていたのだ。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
激しい戦闘が行われていた晩、海が赤く燃えていま
した。あなたをこんなにも待っているのは、あなた
がやがてわたしを貫くから。その期待だけでわたし
の塩水はすでに揺れてくるのです。わたし、スケて
います。恥ずかしさでわたしの突起は一回りも肥大
してしまいました。あなたは来ません。苦しいので
す。苦しいの。だからこの夜、自分で吹きました。
見知らぬ男が突然わたしのからだを眺め回しました。
うれしかった。塊をふかしながら揺れていました。
遠くで祭囃子が聴こえてきて、わたしはたくさんの
ひとの襞を摘み、分厚い恥辱はうねうね曲がりだし、
自分の指を深く深く、何度も何度も突き立てました。
鮮やかな血が、大地に溢れ出し、大きな河となり、
うねりを上げて世界は突然暴力も劈いてしまうの、
だから、わたし、わたしのからだ、すべての流れが
出会うところで、あなたの棘を摘み、わたしのかた
を植えました。硬いんです。硬いんです。こんなに
も。そうです、ここが最果てなのです。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
猿払の湿原を越えると、自動車は誰も100キロ以
上のスピードで宗谷を目指す。はまなすの花が美し
い6月の休日、誰もそんなことにはかまっていない。
なんたって宗谷には宗谷岬がある。今は獲れなくな
ってしまったニシン。昔ニシンは黄金の魚だった。
大西洋からオホーツク海の冷たい水は、ニシンとと
もに回遊してきていたのだ。雄大な北の大地には似
合わない豪華絢爛なニシン御殿。喧騒と荒波が好き
だった漁師たちの宴。遠くでラッパが鳴っている晴
れた日には樺太が見える。そう、あれが宗谷の岬。
曇りの日には何も見えない駐車場に立ちアイスクリ
ームを舐めている子どもがいた。「最果て」と刻ま
れたキーホルダーを3つ買って帰ろう。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
赤いダンスがはじまりました。わたしは輪の外であ
なたをいざなうように、挑発するように、哀願する
ように、ふくらはぎ揺らす風の唄声で、それに合わ
せあなたが踊りだします。わたしはもう、茫洋とし
た意識の道をたどり気がつくと思わずコップを取っ
てあなたの水溜りを飲んでいました。わたしはわた
しの気配に満たされるとき、地球の裏では月が欠け
はじめる合図です。ここはいったいどこなのでしょ
うか。わたしはいったい誰なのでしょうか。そんな
呪文を口々に唱えながら、たくさんの人々が両手に
花をたずさえ、スカートもはかずにお尻を突き出し
ています。でも男や女たちはみな一様に花に、白い
液体をやっているようでした。空に樹々は深くたち
こめ、呼吸は雲を狩り、願うまでもなくみんな、こ
の地に降る雨のことを想い泣くのでした。こんなに
も、こんなにも。そうです、ここが最果てなのです。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
国土地理院に勤めている田中課長は鳥瞰図のプロだ。
だいたい眼にした範囲の風景をそのまま鳥瞰図にし
てしまう。ある日の休日、善福寺川のほとりで田中
課長は鴨を眺めていた。季節は晩秋の深みにいた。
万歩計は37万キロをさしていた。遠くの団地で布
団をたたく音が2ビートを刻んでいた。田中課長に
子どもはいない。妻もいない。そしてもちろん、親
も、いない。それでも田中課長は45歳のこの歳ま
で決して人と比べることなく、自分は満たされてい
る、幸せだと感じて生きてきた。鳥瞰図とはそうい
うものだった。偶然の葉が水面を揺らした。それが
合図だったかのように鴨たちは一斉に飛びたった。
田中課長はいつか鳥になれるのだろうか。それは、
誰にもわからない。もうすぐ冬がやって来る。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
偶然性。気がつくとわたしはいつも足りるだけのじ
ゆうでした。満ちては欠ける所作、そのものがわた
しの営みでした。そこに【あなた】が意味を、凶暴
までに【あなた】が意味を。ひとつとして吹いてい
る泡が無数に点滅しています。器などそもそもそも
なかったのです。それが「在る」ことの惧れでした。
一切経山。はじまってしまえばおわりなど存在しま
せん。はじまってしまえば、あとは意味ばかり、意
味ばかりを重ね、わたしは必然性へと【あなた】に
対峙し続けなくてはいけないのです。ああ、はじま
りばかりがわたしをわたしのかたへと注いでいく。
わたしはとうに赤い裸体です。そしてこれ以上のこ
とをあなたは身体に求めてくるのでしょう。ひとは、
ふと窓の外を見たときに知ってしまうこともあるの
でしょうか。ふと。それでも泡を吹きながら、わた
しがあなたを求めている。こんなにも、こんなにも。
そうです、ここが最果てなのです。
 
 
 
 
おぎゃあ           
 
 
 
 
チュパに身をくるみ、12月の東チベットをチャムド
目指し進んでいた。チベット高原の縁、あたりには
一面、莫大な山々が降っている、そのなかを足跡で
すらない道を標高5000メートルまで昇っていく。五
体投地はここではまさに地球に生まれついてしまっ
た間隙。そんな捨て身の激しさをラサまであと2000
キロ繰り返すラマ僧。ここに陽暮れていく慕情は周
囲を出し入れするだけだ。チベットに海はない。鳥
だけが魂を運び、大イヌワシの影が夜に傘をかぶせ
ていた。チャムドの街は偶然にも年に一度の燈籠祭。
街の灯りはすべてろうそくの灯とおかれ、灯は揺ら
ぐ。揺らぐ夜にしし座の流れ星たちが、ひとが決し
て渡ることのできない河を架けていた。
 
 
 
 
           
 
 
 
赤い最果て
 
 
飛光よ、飛光
 
 
一度きりの夕暮れが
 
 
あなたを劈いた暴力に
 
 
わたしは産まれてきたのです






























自由詩 飛光 Copyright ワタナbシンゴ 2004-01-03 10:12:18
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