どこにでもある話 3
いとう




これは自分の部屋で彼から聞いた話
深夜に泥酔しながらドアをノックした彼の話

とりあえず水を一杯渡すと玄関で倒れ込んでいた彼は
受け取ったコップをじっと見つめたあと床に叩きつける
しょうがないのでバーボンをビンごと渡した

さて、どこから始めようか

彼女は彼のケータイの番号を知っている数少ない女性の1人だった
何度か一緒に遊んだこともある
顔はあまり覚えていないが
ショートカットでやたらよく喋るのは記憶している
彼女とは3ヵ月ほど続いていたはずで
食い散らかす彼にしてみればそれはわりと長い期間だ
初めの頃の彼女はかなり舞い上がっていて
いつも腕を組んで歩いていたのでとりあえず
「彼の噂を知ってるの」と忠告したが
「知ってるけど聞きたくない」と彼を見て手を振る
今思えば最初から兆候はあったのだ

彼と長く続く女性は皆無に等しい
自分の誕生日に他の女と寝る男を
愛し続けられる人は珍しく
それは彼に言わせれば
あきらめているのか
がまん強いのか
独占欲がないのか
自分も遊んでいるのか
そのうちのどれかに当てはまり
当然彼女は
そのうちのどれにも当てはまらない
どこにでもある話だがうまくいくわけがなく
彼と彼女は2週間前に別れている

「幸せにしてくれると信じていたのに」と
後で彼女がつぶやいたのは
彼の知らない別の話

彼を非難する女性は多い
「最低の男」とか
「人傷つけて楽しいの」とか
そんな類いの言葉はいくつも耳に入る
彼とつきあった女性の大半は後悔していて
そのうちの半分以上は傷つけられたと感じている
しかし
彼がわざと傷つけていることを知る女性は少なく
そしてその理由を知る女性はまったくいない
彼が女性を傷つけることによって
自分を癒そうとしているのを誰も知らない
知っている限りでは
彼が昔の話を女性にしたことはなく
当然彼女にもしたことはなかった

誰もがひしめきあう海原ではるか昔に遭難してしまった彼は
生き残るために人を傷つけていく
そして船の上で泣いたり笑ったりしている人々を見上げ
傷つけた女を浮き輪にして毎日を生き延びてきた
彼が選択した方法は確かに間違っているが
彼を救い上げる人はまだ現れない
彼の救難信号は船の上まで届かないので
彼が遭難していることを誰も知らないのだ
そして彼はまだ
自力で這い上がることができないほどに傷ついている

彼女との関係を終わらせた理由を
彼は「うざったくなったから」と言った
彼は彼女が訪れる時間に合わせて
同様に「うざったく」なっていた別の女性を部屋に連れ込み
2つの関係を同時に終わらせることに成功する
彼の生活においてそれはありふれたことで
彼自身はそれを
「どこにでもある話」として片づける
確かに現象だけを捉えるならば
それは「どこにでもある話」に過ぎないのだけれど

「あなたしか見えない」とか
「私だけを見て」とか
「いつまでも一緒にいたい」とか
美しい言葉たちはともすれば独り歩きを始め
生み出した本人とその相手を飲み込んでいく
愛する恐怖と愛される恐怖
その2つから逃げている彼を責めるのは簡単だが
その資格を持つ者は少ない
当然自分にもなく
そして愛に逃げていた彼女を
傷つけられた後の彼女の行動を
責める言葉もかばう言葉も持ちあわせていない

彼がコップを叩きつけた前日
彼女の友人から彼に電話があり
(友人がなぜ電話番号を知っていたのかわからないと彼は言う)
彼女がどこかのビルから飛び降りたことを彼は知った
彼女の友人は
「あなたが殺したのよ」と言い放ってから電話を切り
彼の話はそこで途切れた

繰り返すが
彼に対しても彼女に対しても
非難も擁護もすることはできないそんな言葉は知らない持ちあわせていない
すでに起きた事実を
その現実を黙って受け入れるのが
受け入れるしかないのが
我々の現実でしかないのだ

数分の沈黙の後
「帰るから水を一杯くれ」と彼は言う
コップを割られるのは嫌なのでボトルごと渡すと
彼はミネラルウォーターに口をつけ
それから自分の頭にかけ(玄関は水浸しだ)
バーボンのビンを抱えたままで
何も言わずにドアを閉めた
彼は人前で泣かないように習慣づけられていて
さらに
泣く資格がないことも知っている

そして朝が来てまた彼の1日は始まる
あたりまえの顔をしながら
はるか昔から
彼が彼の純粋さをどこかに隠した頃から
それは始まり続けている

あの日彼女から
「ごめんなさい」と一言だけのメールが届いていたのは
後になって知った話
彼は相変わらず女性を食い散らかす毎日を送っていて
それは端から見れば
以前より真剣にストイックに
修行僧のように食い散らかしているようで
傷を癒すために別の傷を負った彼の話は
あの夜に途切れたまま
まだ終わっていない








自由詩 どこにでもある話 3 Copyright いとう 2003-12-30 00:19:07
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