詩人の方程式
クリ

バリバリの文系なわけですが、小学生からSFは大好きだったし、科学ももちろん好きでした。
高校1年で物理Iを学び、2年になるときに物理IIを希望したのですが、文系クラスで物理を希望したものが20人弱しかおらず、
学校側から他の科目に変更してくれないか、と言われたのです。僕は最後まで抵抗した5人のうちの一人でした。
もはや諦めるしかないと分かっていましたから僕は最後の抵抗をしました。「どんな点数を取っても文句は言わないでくれ」
みたいなことを本当に言ったわけです。学校側は無言でしたが暗黙の了解をしてくれたように思います。
化学にしたのです。で、テストは毎回10点から20点のあいだ。それでもいわゆる「追試・再試」は一度も受けていません。
ただし化学の先生はいつも悲しそうでした。
どうしても物理を勉強したかった(この歳の頃は本当に向学心があった)僕は、クラスメイトの兄が使った物理IIのテキストを譲ってもらって、
独学で勉強しました。当然かなりしんどかったです。しかしなんとか進みました。
最後の方に、ある方程式が出てきました。予備知識がなかったので理解するまでかなりの時間が掛かりました。
そしてなんとなくその式の意味するところが見えたとき、戦慄が走りました。もうお分かりかと思います、あの式です。
E = mc^2
「なんじゃこりゃ??」という感じ。なんでそれぞれ無関係(と思われる)3つの値がひとつの式にまとまるんだ??
それも、こんな単純な形で! これがそもそも始まりでした。
とはいえ、これには先駆けがありました。それは物理Iで出てきたもっと単純な方程式です。
F = mα
Fは力、mは質量、αは加速度です。物理Iというか「古典物理」は、実はこれで成立しているといっても過言ではない式です。
様々な関係がこの式から類推できるほどです。このときもかなり「感心」したのを覚えています。
僕がびっくりした「式」や「理論」が他にもいくつかあります。これらは素晴らしい「詩」を読んだ時と似たようなショックを与えてくれるので、僕の中ではほとんど同値です。
インターネットでは累乗を表すときにずっと「^」を使ってきました。今ではスタイルシートなどや画像を使って正確に表すこともできますが、ここでは旧来の形式で書くことにします。わざわざ画像も面倒だし…

● E = mc^2

理解してなくとも見た事だけは絶対にあるあの式、アインシュタインが「ひねり出した」方程式です。
Eはエネルギー、mはやはり質量(mass)、cは光速度で、定数です。つまり何を言っているのかと言うと、
「エネルギーと質量は同じ」ということなのです。
そして定数のcはもともとがばかでかい数なのでそれを二乗するととてつもない値になります。ものすごく小さな質量がもしエネルギーに変わったとしたら、爆発的な数値になるわけです。
それを実際に利用したのが、「原子炉/核爆弾」そして「水素爆弾」です。水素爆弾の発電版である「核融合炉」はまだ実験段階です。

● ΔpΔq ≧ 定数

「ΔpとΔqの積はある定数以上である」という意味です。
pは物体の運動量、qは位置です。ここでΔはpとqの「あいまいさ」を表しています。
Δqが0に等しいということは物体の位置が決定しているという意味になります。では実際に観測して物体の位置を決めましょう。
Δqが限りなく0に近づくとどういうことが起こるか。右辺は一定の値ですから、Δpが限りなく無限大になっていきます。
それはどういうことかというと、運動量が限りなくあいまい、つまり「決められない」のです。
Δpを測定した場合には逆になります。つまりこの方程式は「位置と運動量は同時に測定できない」ということなのです。
これは感覚的にかなり分かると思います。写真から車のスピードは分かりませんし、動いているならば位置など決められないのと似ています。
この方程式が導きだされる理論は「不確定性原理」と言われるもので、量子論とおおいに関連があります。
上の式と同等に
 ΔEΔt ≧ 定数
があります。これは、エネルギーと時間の関係です。これをちょっと考えてみて下さい。Δtをものすごく小さな値にするとどうなるか。
エネルギーは限りなくあいまいになります。ということは、ものすごく短い時間では、エネルギーはどんな値にもなり得るということになります。
もしそこになにもないとしても、限りなく短い時間内では大きなエネルギーが発生する可能性がある、ということなのです。
さて、このことからあることを連想した方もいるのではと思いますが…。

● e^iπ+1 = 0

この等式は最近少し有名になってきました。ここでeという定数を説明しているととても大変なのでばっさり切り捨てます。ごめんなさい。
「ネピア数」というある定数で、利息計算などに大変便利な不思議な数とだけ書いておきます。無理数です。

iは虚数、πは円周率、これはいいですよね。しかし、なんでこの3つの数と1がたったひとつの式に、しかもこれほどスマートに同居するのか??
この式は「オイラーの等式」呼ばれます。実は数学者に言わせると、この式には深遠な意味などないのです。
ただ、「人類の至宝」と呼ばれることもあるこの数式、数学者より文学者を刺激してばかりいます。

● 不完全性定理

これは数式ではありません(数式で表せないこともないのですが…)。上に出てきた「不確定性原理」と似ていますが別物です。
ゲーデルという人が証明した定理で、ふたつあります。

○ 第一不完全性定理
自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する

ここから「文系人」の意訳が始まりますので要注意(笑)。これをとても危険な方法で翻訳すると、
「とても厳密に整った論理体系の中だけでは、正しいか誤りか推論できないものが出てくる」
となります。矛盾のように聞こえます。しかし本当なのです。完璧であれば完璧ではない、という意味、これはとても興味がわく、でしょ?

○ 第二不完全性定理
自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

こちらを言い換えるとどうなるか、お遊びですよ。
「矛盾のない論理体系は、矛盾のないことを証明できない」
どうです、すごいでしょう。
これは「言葉とは?」と、言葉で理論するのは無駄であると言っているように、文系人は感じてしまうのです。
だいたい合っているように思っています。言葉の議論も不完全性定理も、「もっと上の次元」を必要とするという意味において。

僕は「量子論」と「不完全性定理」のベースでいくつか詩を書いています。しかし多かれ少なかれすべての詩人という人種は、
「心は、心を描くことができるのか? できないのか?」と自問自答しながらいつもいる人たちなのではないか、と信じています。
そんなとき、詩などの文芸や、他の芸術よりも、たったひとつの数式や理論が、手助けをしてくれることがあります。
そんなものにもっと出会いたいと、いくつになっても思います。

                          Kuri,Kipple : 2005.08.18 初出/Domin Diary


散文(批評随筆小説等) 詩人の方程式 Copyright クリ 2005-09-02 02:43:47
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