下手な考え休むに似たり
汰介



「無」は純粋かつ言葉通りに捉えるならば、「状態」でもなく、「思考」する事もできず、
「無」と言う言葉が存在する事自体矛盾であり、
「無」と言うよりは、意識されうる限りは「虚偽」と言う言葉で(若しくは自分自身と言う存在のもたらす思考や志向にとって「虚偽」と感じられる事柄)殆どの場合事足りてしまうのである。
現実には「無」は自分という主観にとって、全く気付いていない事柄の事を指す、と言える。
例えば、ある人の未来の状態、
それを知らない状態での、その人の意識していない未来の状態が「無」と言える。
その未来の状態をその人が意識すると少なくともその人にとって「虚偽」ではあっても「無」ではなくなる。「無」は「無い」のであるから意識的主観的に考える事はできないし、
一切を飲み込む恐ろしいある感情でもありえないし、
価値を付ける事も、もちろんできない。それは主観にとって「無い事にしたい」願望に過ぎない。












自由詩 下手な考え休むに似たり Copyright 汰介 2005-08-15 16:26:02
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