セミの季節に詩を飛ぼう
umineko

あのね。
造反議員ということばはなんだかおかしい、と思うのは自分だけ?

決め事に反対するかどうかは個人の判断であって、党に属している以上その決定事項は金科玉条であって邪魔しちゃイヤっていうのは心情的には理解できるんだけど、それを会議体でやっちゃー元も子もないだろー、とか思うんですけど。

それが正しいなら本会議っていうのはただの儀式で(実際そう)、多数決っていうのは単なる手続きで(いやもうまったく)、ルール自体はただただ密室で粛々と決められていくんだなあ、と、それを民主主義って呼ぶのはカレーライスを親子丼と呼ぶのと大差ないくらいに不思議なならわしだ。

メディアもそれをわかってやっているのだろうか?反対票を投じた者を排除するのはこの国のどんな正義なんだろう。それをオープンにするのは。

芥川賞だったか直木賞だったか、今年もやってましたけど。自分が一番びっくりしたのは審査委員のコメントでしたね。となり町戦争、だったかな、それはけっこう高く評価されながらも落選するんだけど、その際に、まだ文壇に登場されてから日も浅く、もう少しもまれなくてはいけない、みたいなのがあったんだ。

ふーーーーーーーん、って。

アートを評価することと、それに賞を授与することはまったくの別物なんだ。ということがここからもわかる。民主主義という名のもとで別の政治システムが発動するようにね。

造反議員、と呼ばれた人たちははこれからどうなると思う?
それをもとに新党を作るとか?ありえない。たぶん数の正義とやらで、血判状とか作ってまた戻っていくんじゃないかな。人間としてありえねー、とか思うけど、でも暮らしも大事だもん。背に腹は変えられぬ。

そこにどんなに美しいことばを並べても。聖戦でも美学でも。
殺し合いは殺し合い。密室政治は密室政治。
(ちなみに衆愚政治っていうのもある。話し合えばいいってものでもないのだ。)

時代の空気、というものがあって。どこか危ういものを感じるよ。そんななかで、ことばは何を出来るんだろう。ということを、少しだけ思う。

セミの季節が動いている。日差しは湿り気を帯びて、どこか頼りない。
それを感じることが出来ますか、ってこと。

みえないものを文字へと。
そのエナジーを。

自分はいつまで、人であるんだろう。
セミの季節が流れていく。


セミの季節に詩を飛ぼう。







散文(批評随筆小説等) セミの季節に詩を飛ぼう Copyright umineko 2005-08-12 18:11:54
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