死ぬ順番
宮前のん

今、生きている人間が必ず1度は経験する事柄があります。
全員、おしなべて、例外なく、絶対に、です。

それは、
この世に生まれる事と死ぬ事です。

人は誰でも、必ず親から生まれたから生きているのであって、そして必ずいつか死にます。
この事はごく当たり前のことで、言われなくても大抵の人は知っています(まだ学習能力のない乳幼児などは別にして)。

ですが、
死ぬ順番って決まってない。

という事実に気がついている人は、案外少ないように思います。

10年くらい前、ある難治性の病気の方の私は担当になりました。
その方はほとんど寝たきりでしたが、ものすごく本が好きで、いつも最新刊を沢山持っていらして、
(旦那さんが頼まれて買ってお持ちになるのです)私はよくお貸しいただきました。
ある日、いつものように病室を訪ねると、「天の瞳・青年編」の最新刊が枕元に置いてありました。
近々買いたいと思っていたのだと、私は患者さんに言いました。
そして、いつも旦那さんが優しくてうらやましいと。
すると患者さんは私に「先に読んでいいよ」と、私にその本を貸そうとしたのです。
いいですいいです、お先にどうぞ。と私は断りましたが、その時に言われたのです。

「あのな、死ぬ順番なんて決まってないんやで。私の方が先やと思い込んでへんか?」と。

見透かされたようで、びっくりしました。
実際、心のどこかで、彼女は難治性の病気なんだから、と思っていたのは事実だと思います。
ですが、その彼女の言葉を裏付けるような出来事が、まさに次の日に起こったのです。
夜勤明けの看護婦さんが自宅に車で帰る途中、交通事故にあって亡くなられたのでした。


ひょっとして、
高齢者の方が先に死ぬ、と思っていませんか?
病人の方が先に死ぬ、とも思っていませんか?
危ないことをしてるやつが先に死ぬ、と思っていませんか?
自殺したがるやつほど先に死ぬ、と思っていませんか?
確率的にはそうかもしれません。
ですが、あくまで確率は確率であって、事実じゃない。
本当は、死ぬ順番って実は決まってないんですよね。
(そういえば昨日、高速道路で積み荷の鉄棒が車に突き刺さって男性が亡くなった事故は、
 報道によると、ものすごい偶然と偶然が重なったために起きた極めて稀な不幸な事故だそうです。)

そのことがあってから、私は生きる上で、あることを意識しはじめました。
それは、もし明日死んだらどうするか、それを考えて生きるということ。
そして、もし明日死ななかったらどうするか、という事も同時に考えるということです。
日によって、どっちにウエイトを置くかが微妙に変化することはあるのですけども。
でも両方同時に考える、ということを意識しています。
明日死ぬかも、だけを考えると、どうしても刹那的な生き方になりがちです。
人に迷惑をかけても、嫌われても、好きなことを散々やって、人を傷つけて、みたいに
なるかもしれません、一種の自暴自棄のように。
あるいは、よもや明日は死なないだろう、とタカをくくっていると、自分の好きなことややりたい事を
押し殺してしまって、必ずどこかで後悔するような、そんな生き方になってしまうように思います。

「明日死ぬかも」と同時に「明日死なないかも」を考えると、なんとなく自分の行く道が、
生きてゆく道が見えてくるような、そんな気がするのです。



散文(批評随筆小説等) 死ぬ順番 Copyright 宮前のん 2005-07-21 00:45:43
notebook Home 戻る