『ROCKS』
mana

 澤木耕太郎の『深夜特急』。

 昔、テレビで大沢たかおが実写でやっていた。アジア篇しか見ていない。でも、スゲー憧れた。一年前の僕は今頃、東南アジアにいるはずだった。貧乏で、ごちゃごちゃしてて、不衛生で、飯がやたらと油っぽくて口に合わない、そんなところでぼんやりとしてみたい、そう思ってた。


 「それは赤緑色盲の僕でさえ、圧倒されるような緑でした。」


 ふいにそんな手紙と共に、バリの泥沼に咲く蓮の花の写真をもらったことがある。もう一枚入っていた写真は、日陰で休む老人と子どもの写真だった。もしかしたらそんなことも、アジアに行きたい、ここじゃないアジアが見たいと僕が思った原因のひとつなのかもしれない。


 僕の住む町のまわりには、切迫感やら緊張感やらがあまりない。ちょっと車で走るだけで、「あー、ここで産まれてたらきっと、全然別な人生になってたんだろうな」なんて思ったりもしたものだ。最近はドライブするなんてこともないから、そんな意識からも離れているけど。


 いったい何が「ゆたか」なのか?


 第一次産業がメインみたいに見える田舎町。僕の住む町の多くのひとは第三次産業に従事しているのだろう。【サービス】。それなりの情報。それなりの文化。それなりの施設。それなりの交通網。それなりの機能性。それなりばかりが乱立してる。それなりの町で、それなりに僕は生きてきた。けれどふと、それなりに便利でそれなりに過ごしやすい僕の町が、便所がかろうじて簡易水洗になっているような、かろうじての町よりも、うんと不自由に見えたりもする。


 無駄な問いだ。答えなんてあるわけがない。


 野外レクレーションなんてものまで、すでにサービス化してしまっている。そこにはもう、僕が背中から落下した時の木を登るスリルみたいなものはない。スタッフは楽しそうだった。けれど、「休日にはいつも町に行く」と言っていた。僕の住んでいる、それなりの町に。やはりないものねだりなのか。


 あるものが見えない。ないものばかりが見える。


「こんな町じゃ駄目だよ。全然駄目だね。もう、全部が半端だもん。やっぱりさ、【あたらしいもの】なんてのは、あのぐちゃぐちゃした、圧倒的な息苦しさみたいなもの、やたらと人口密度が高くて、何かが渦巻いてるような、そんなところからしか出て来ないんだよ。僕は渋谷見て思ったよ。秋葉原でも思った。あの、わけのわからない窮屈さ、なんだかわからないけれど、やたらに群れてて、でもエネルギーが凝縮されてそうなところ、そんなところからしかもう、【あたらしいもの】なんてのは出てきやしないよ。」


 くるりの岸田クンの廉価版みたいな容姿で、ケーキやらお菓子やらを作るのが好きだった。それなりの大手に勤務する父親と、専業主婦の母親。それなりに利口な兄との2人兄弟。それなりの家庭。


 「これが現代の日本における【標準的】な家庭です。」


 本当にそんな感じだった。


 それなりの高校で一緒だった彼と僕は、別々なそれなりの大学に行き、不思議な縁で知り合った。彼はどうやら僕を高校の頃から知っているようだった。けれど僕なら当然、彼のことなどまったくもって知らなかった。


 「引かれたレールの上を忠実に歩いていくのが好きなんだよね。」


 彼はその言葉の通りに、それなりの大手に就職した。そして、それなりの時期にそれなりの相手と結婚する。本当に「普通のド真ん中」を忠実に生きている。なのに、彼がまだ結婚する前で、彼女は学生で彼がちょっとだけ先にサラリーマンになっていた頃、「僕はゴールデン・ウィークしか連休ないから」なんて理由で、ひとりで旅行に行っちまうようなヤツだった。大学生の頃にバック・パッカーにハマったらしい。行くのはいつもアジア。東南まわって、中東にハマりかけていた。いつでもひとりで旅に出る。


 「明日からアラブ行ってくるわ。チケット、他は高くてさー。」


 僕のチープな「岸田クン」は、小洒落た恰好でセルフレームにカラーレンズの眼鏡をかけて、「ちょっと温泉行ってくるわ」みたいなノリとまったく同じようにそう言って、ほんとにアラブへ行ってしまった。ゴールデン・ウィークが終る頃に戻ってきた彼は、「腹を壊して薬局行ったら病院に行けって言われちゃって、病院行ったら入院することになっちゃって、なんか怪しい点滴打たれて、しょうがないから看護婦さんをナンパしてたよ」と、これまた野良猫がいたからパンをやったんだよねみたいな雰囲気で、普通にそう口にした。


 「女の子といる方がラクなんだよね。男の子だと緊張しちゃうよ。」


 それは本音だったと思う。まるで酒が飲めない彼が、久々に会って飯でも食いに行きますかってなった時、一杯目から日本酒を頼んだ。僕が煙草を車で吸っても何も言わない。「岸田クン」は当然、煙草なんて吸わない。営業やってるくせに、その辺の女の子よりずっと運転が下手だった。


 「だってさ、客ってよりは社内接待ばっかだけどさ、酒って飲めないよりは飲めた方が便利でしょ?」


 そんな理由で、彼は酒が飲めるようにじぶんを「訓練」したのである。


 「セックスまで持ち込むのは面白いけど、セックス自体はどうでもいいんだよね。もう何度、『ごめん、もういいわ』って言ったかわかんないもん。僕ってさ、スゲー失礼だよね。でも、駄目なもんは駄目なんだよね。最初の社員研修で本社行ったんだけど、お約束通りに風俗行くことになっちゃってさ。『ヤリに行く』なんてつまんないよ。もう、『ヤレる』に決まってるんだもん。そういうの僕、駄目なんだよね。うわー、ソープで3万かよ?って思ったけどさ、所詮カネで片付くなら別にいーやって感じでさ。風俗嬢と喋って出てきたよ。ほんと僕、イヤな客だよね。」


 すべてにおいて彼の基本はこんなベースで染まっていた。それはもう、モンドリアンのコンポジションみたいにキッチリと決まっていた。とにかく統一されているのだ。


 「引かれたレールの上を忠実に歩いていくのが好きなんだよね。」

 安定してて確約されて保証されてる日常がないと、僕は冒険なんて出来ないよ。ハイリスク・ハイリターンみたいなのって苦手なんだ。ほんとは子どもなんて欲しくない。僕は普通の、ほんとに普通の、典型的な中の上の家庭で育った。イレギュラーなんてあったらたまんないよ。もしもじぶんの子どもが不良になんてなっちゃったら、僕は即行で逃げ出すよ。でもさ、僕と同じように、典型的な普通の子どもが産まれるかなんてわかんないわけでしょ? つうかもう、僕ほど普通ってのもまた、あんまりないわけじゃん? こんなにリスク避けてレールに沿って生きてるのにさ、ほんとイレギュラーなんてたまんないよ。もうカネじゃ片付かないじゃん? でもさ、それでもひとりくらいは作るよね。僕はまあ、不能でも全然いいんだけどさ、奥さんがギャーギャー言われるのはやっぱり嫌だもん。だってさ、そういうのってすごく面倒じゃん。


 営業やるのに結婚指輪は結構使えるんだよね。余計な推測されないからさ。もうちょい待ったかけられたなーって思うけど、まま、無難なとこだよね。ぶっちゃけ、女の子落とすのにも結構使えるしさ。もう、「彼氏」にはなれないって、指輪ひとつで言えちゃうんだもん。女の子なんてクリスマス・イブとか大晦日だけ押えておけばいいんだよ。わかりやすいよね。もう、イブなんて3人掛け持ちだよ。もちろんケーキ焼いて持ってくよ。で、23日と25日は妻と過ごしますよ。結婚する前にさ、僕の奥さんの家って僕の家みたいにキッチリしてるからさ、もう年越し正月なんて家族で過ごすに決まってるから、元旦に他の女の子とラブホテル行ったんだよ。そしたらいきなり携帯鳴ってさ。初詣に行かない?って、今の奥さんが言うんだよ。僕はもう、即行でホテル出て、もちろん一発もやらずにさ、JRの駅まで送ってそのまんまだよ。元旦だよ? 電車なんてガンガン来るわけないじゃん。でももう、女の子の家まで送ると当確してる奥さんを迎えに行くのに間に合わないんだもん。ほんとにさ、僕って最低だよね。

 僕とはまるで正反対の生き方だ。そして今でも彼はレールをひたすら忠実に歩いている。入ったそこそこ大手の会社もレールに沿って予定通りに下降してきた。そんな中で、彼はこれまた忠実に、奮闘するサラリーマンをやっている。そのうちきっと、「子どもが産まれました」なんてなハガキが僕の家にも届くのだろう。

 それは一見、つまらない生き方のように見えるのかも知れない。けれど僕には僕のチープな「岸田クン」が、とてつもなくROCKに見える。


散文(批評随筆小説等) 『ROCKS』 Copyright mana 2005-07-20 15:26:06
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