北新地エレジー
大覚アキラ

 真っ昼間の北新地を歩くのが好きだ。

 北新地というのは、大阪キタの高級クラブやスナックがひしめきあう歓楽街だ。バブルのころは、それこそ“座っただけでウン万円”という店がごろごろしていたらしいが、最近はふつうのバーや回転寿司の店なんかもできて、だいぶ敷居が低くなった。

 とはいうものの今でもそういう高級店は健在らしく、夕暮れ時になると着物姿のママさんや、半径3メートルを香水の匂いで支配しているおねーさんなんかがゾロゾロと現れはじめる。中には一瞬ハッとしてしまうほどの美人もいるのだよ。
 定時間際の疲れきったサラリーマンたちが会社に戻って行く中を、着飾った水商売の方々が急ぎ足で歩いていく様は、ある種颯爽として格好良くもある。

 タレントさんや女優さんなんかでもそうだけど、“見られること”に対して自覚的である人は、やっぱり美しいと思う。ただ、そこらへんの微妙なバランスが問題で、ややもすると単なる自意識過剰でしかなかったりするんだけど。テレビではそれほどたいした美人にも見えないタレントでも、偶然に街中で見かけると、明らかに周囲の一般人とは違うオーラをまとってるものだ。それはきっと“見られること”に対する自覚ゆえの緊張感や隙のなさみたいなものが作り出す、オーラなのかもしれない。
 新地のおねーさんたちも、女優さんほどではないものの、まれにそういうオーラをまとっている人がいるのだ。このへんの話題については、いつかまた別の機会に、もうちょい突っ込んでみたいと思う。

 話が逸れた。
 さて、ぼくの勤め先は、その北新地の目と鼻の先にある。ごくたまにだけど深夜まで残業してタクシーで帰ることがある。するとたいていの運転手は、「お客さん、新地で飲んではったんでっか?」と聞いてくる。仕事だ、と答えると「へぇー、こんな時間まで残業でっか。景気がよろしいんですなぁ」とくる。別に景気なんか良くないんだけどね(笑)。儀礼的に「景気はどう?」と聞くと、たいてい返ってくる答えは「いやぁ、さっぱりですわ。バブルのころとは、そらもう比べモンになりませんわ」というものだ。
 そんなもんなのかねぇ。よく、バブルのころ……という物言いを聞かされることがしばしばあるんだけど、ぼくが就職したのは1991年で、すでにバブルは終焉を迎えていた。だから、バブル最高潮のころのサラリーマンの日常っていうのが、いまいちよくわからないんだよね。

 午前中、仕事の合間に北新地を通ることがある。小料理屋の店先を若い見習風の店員が掃除していたり、仕込みのトラックがボンヤリと道端に停まっていて、夜の北新地とはまるで別物だ。
 太陽の光に晒されてネオンの消えた新地は、まるで化粧のはげた年増美人のように見える。でも決して醜いのではない。心地よい倦怠感と、祭りの後のようなやるせなさが漂い、また新しい日常が始まることへのゆっくりとした助走がそこにはある。

 だから、ぼくは、真っ昼間の北新地を歩くのが好きなのだ。

(初出:jet news vol.026 2001/11/15)


散文(批評随筆小説等) 北新地エレジー Copyright 大覚アキラ 2005-07-16 10:32:21
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