同情するならお金下さい。
絶倫号

 私は体に障害を抱えて生まれてきた。私はその事を周りには明かさないように暮らしている。生涯を通じて腐れ縁を持つであろう友人を除いてである。また、ひょんな出来事から、私の障害を知られてしまった人にも、必要最低限の説明をするようにしている。前者の私の友人達は、私が自分の障害を打ち明けた時、それほど関心があるという顔もせず、興味なさそうに聞いている事が多い。逆に後者のそれ程親しくもなく、やむにやまれずに打ち明けた相手は、真剣な表情で聞き、さも同情しているというような顔つきをする人が多い。一見、前者の私の友人は無慈悲に見えるかもしれない。しかし、その無関心である態度が私にはどれほど嬉しく、心の落ちつくものであったか。できることならば、私はこの自分の障害を一切誰にも知られることなく、ひっそりと生きていきたいと願っている。何故なら、へんな同情の念を抱かれたくはないからだ。私のこの感情は一種の屈折したコンプレックスなのかもしれない。随分前に放映していたテレビドラマ「世紀末の詩」で登場人物の一人がこのような事を言っていた。
「せっかく席を譲ってもらったのに、素直に席に座らずに憤怒する、心貧しき老人達。」
確かこのような事を言っていたと思った。私もこの心貧しき老人達の一人であると思う。できれば、普通の人であると思われて生きてきたいのだ。人から同情されるたびに、私の心には決して綺麗ではない感謝の念と、どろどろとした、ヘドロのような鬱屈した嫉妬が入り混じり、心の奥底のほうにたまっていく。小学生の頃の、体育の時間に、私は普通の子とは違うのだ、そう気付いたときから15年近くもの間、同情されるたびにそれはたまり続けている。

 人と人が完全に理解し得る事などまずないだろう。だから人は生きていける。これまたあるヒューマンサイエンスのテレビ番組での話しで、名前は忘れてしまったのだが、その番組の司会が(確か脳神経学の教授だったと思う)、「人間の脳は、500万年もの間、互いの脳を求めつづけている。」と言っていた。その結果、言葉が生まれ、文字ができ、小説ができ、詩もできた。500万年もの間、人間は他者を理解しようと、進化し繁栄しつづけてきたのだ。そして私は、23年間自分の障害について悩んで生きてきたのだ。それを、打ち明けてたった5秒で、理解したような顔で聞いてもらいたくないのだ。まるで、かわいそうな犬のテレビドラマを見て、一瞬で感情移入してしまうように。私は、自分の障害の辛さを理解して欲しいわけじゃないし、そうそう簡単にわかってもらえるとも思ってもいない。ある障害が、その人にもたらす苦しみは、同じ障害を持つ人にしかわからない。人生のほとんどを土の中で暮らすセミの気持ちなど、私には到底理解できないし、また、明るいものに飛んでいく習性を持った、今まさに火に飛びこまんとする蛾の気持ちも理解する事はできない。

 私は、私が障害者である事を周りに打ち明けないように暮らしている。何故なら、私自身を見る以前に、善意にしろ悪意にしろ、私の障害だけを見る人が多いからだ。

中学生の頃だった、私が、友人に障害の事を打ち明けた時
「そうなんだ。ところでさ・・・」
この友人の一言に私がどれほど救われただろう。




至らない点だらけの、矛盾だらけの文章を、最後まで読んでくださってありがとうございます。


散文(批評随筆小説等) 同情するならお金下さい。 Copyright 絶倫号 2003-12-07 04:26:52
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