蒸し焼きの雨
岡部淳太郎

雨に濡れるのを忘れた人が、信号の前で返り血を浴びている。どんよりと、ただどんよりと生きていけ。おまえの夜の病はいまだ進行中だ。魚群探知機に映る影の人びと。探そうとしてもけっして探し当てられない影の呼吸。街の色のない暗さの中で、おまえの一日は、最初から鮮やかに暮れている。

六月の、脅えたような雨の中でしずしずと歩く。鳥は低空飛行を繰り返し、見えない虫を啄ばんでいる。雨は低空から落ちてきて、父の名で路面を濡らしている。ゆっくりと、ただゆっくりと狭まってゆく境界。鏡の中の、おまえの顔は曇っている。鏡の空の、おまえの星は隠れている。

この雨の中、歩く距離が遠くなると、そのぶんだけ暑くなる。おまえは六月の失策。六月の、この一年の半分だけの失策。あと半分だけ残された道の上にも、蛙の歌が鳴り響いている。靴裏は必ずといっていいほど、水たまりを踏み外す。おまえは取り囲まれた雨の落丁。鞄の中の本は、表紙から数十ページが皺になっている。


くるいあめ
ふるいあめ
     この雨にくるまって
     この雨にふりわけられて
くるいあめ
ふるいあめ
     新しい週の始まりに
     傘は正しく捩れている


雨に濡れるのを恐れた人が、白い肌のままで蒸されている。返ってくるのはいつも雨。魚臭い店先で、知らされることなく貝の泡が破れている。どんよりと、ただどんよりと生きていけ。信号の前で立ち止まり、速度を緩めない車を見ながら、ゆっくりと振り返る曲線。どんな色も、けっして身にまとってはならない。おまえは正午の病。背後には汚れた泥が、踏み荒らされて、降り積もって、

六月の雨は、ただ垂直に寝そべっている。



(二〇〇五年六月)


自由詩 蒸し焼きの雨 Copyright 岡部淳太郎 2005-06-18 21:28:52
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散文詩