小詩集「マルメロジャムをもう一瓶」
佐々宝砂

[バリケードのこっち側]


その前日
あたしは工場で残業した
まんまるいちんち段ボールの箱と格闘して
それでもまだ働けとベルが鳴った

自転車をこいで家に帰ると
戦いは明日だと言うから
あたしはお米を研いだ
五合釜しかないのに一升炊けいや炊けるだけ炊けって
あたしの親が送ってくれた米なんだけど
ああでも

 あたしのものはあなたのもの
 あなたのものはみんなのもの

あたしのこぶしは弱すぎたので
世界を変えるには向かなかったし
バリケードへの通行手形を握ることさえできなかったけど
おにぎりを握るにはちょうどよかった
だからあたしは戦略会議を背中で聞きながら
手がただれるほどおにぎりを握って
そのあとはいつものように湿った布団で

 あたしのものはあなたのもの
 あなたのものはみんなのもの

 だからあたしはみんなのもの

それから朝がきて
あなたはバリケードの中へ
あたしは自転車こいで工場へ
工場はバリケードで封鎖されてはいなかった
今日も働けとベルが鳴った




[油揚げのある限り。]


1967年のとある土曜日。
あたしは八幡巻をつくった。

民青お料理教室風八幡巻 レシピ

 ごぼう 1本
 油揚げ 5枚
 かんぴょう 数本
 醤油 適宜
 砂糖 適宜
 酒 適宜

以上、おしまい。


ごぼうに対して油揚げが少なすぎるという意見もあろうけど、
当時の油揚げは今の油揚げと違って大きかった、
その大きかった油揚げの一辺に包丁入れてそーっとはがして、
一枚のものを二枚のものとして使ってるんだから、
こんなもので充分なのである。

牛肉は使わなかった。
というより買えなかったんだからしかたない。

そういえばダシも入れなかった。
油揚げがあればそんなの要らないと思ってた。

油揚げのあるかぎり。
私は生きてゆけるだろう。




[待つ]


風は火薬の匂いを漂わせ
どんより曇る空は嵐の予感を漂わせ
あたしたちは待っていた

たとえば資本論を読むことと
あしたのジョーを読むことが等価に語られ
コカ・コーラの瓶に封じたトカゲと
丸めた新聞紙に沁みこませたガソリンが
何らかの関連性を持つかのように語られるならば

あたしも語ってよかったはずだ
母たちの目のまえにあった鍋と釜のことでなく
アンネナプキンを売り出したお嬢さまのことでなく
シンデレラでもアリスでもロリータでもウェンディでもない
いまここにあるあたしの
あたしの
何だったか
待っているかぎり
あたしはとてつもなく自由だったが
待っていることそれ自体罪だったかもしれない

あたしは翔びたかったわけではなかった
あたしはただ首が痛くなるほど空をみていた
頽落してゆく鳥はそれでも空いちめんにひろがり
不穏な黒雲は鳥を飲みこみ
飲みこまれた鳥は世界に消化不良を起こさせ
ひりだされた排泄物は悪臭を放ち 
その悪臭のただなかで
あたしはなぜだか優雅に紅茶を飲んでいたりするのだった

空のかなたから飛んでくるものが
何であるべきだったか
あなたはそれを覚えているか

ひそやかに伝えられる信号を
待ち疲れたあたしたちの種族は解さないのだ




[Good-bye, blue jeans]


ジーンズを履いてると
今日はデモがあるの?ときかれた
そんな時代のこと

デモがあろうとなかろうと
あたしは男物のジーンズで街をあるいた
ねえあたしたちは解放されてるのよ
こういうのがひとつの象徴なのよ
と あたしは特に思わなかったが

主義でもなんでもなくただ単純に
あたしはジーンズが好きだった

だからジーンズのウエストが日々きつくなっていったとき
あたしは非常に思い悩んだ
もうあたしはジーンズを履けないのだろうかと

生もうか生むまいかそんなこと全く悩まなかったけれど
ジーンズが履けないくらいにおなかが出るかと思うと
それだけはどうしようもなく悩ましかった
あたしはとにかくジーンズが好きだったのだ

でもあたしはもうジーンズを履かない
あのときから
ジーンズは何かの象徴になってしまった

あたしはジーンズが好きだった
単なる青いジーンズが好きだった
何の象徴でもないジーンズが好きだった




[ソウル・キッチン]


あのキッチンはひどく狭かった
ガスレンジは小さなのがひとつあるきりで
電子レンジはもちろん電気釜さえない
流しは鍋ひとつ洗うにも苦労するほどせせこましく
丸ザルに入れた皿や湯飲みは床に置くしかなく
冷蔵庫は氷も作れないオンボロだった

それでも
あたしにとってはすばらしく近代的なキッチンだったと
いまどき誰に言えば信じてもらえるだろう


あたしが生まれた家の台所は広かった
しかしそれは台所というより小汚い土間で
女以外の住人はたくさんのカマドウマとムカデ
煙で黒い天井の奥には蛇さえ住んでいたはずだ
タイルばりの流しにはどうにか水道が引かれていたが
ガスレンジなどという便利なものは存在しなかった

障子の向こうの別世界は男たちの居間で
そこではラジオが響いていた
台所にいてもラジオの音は聞こえたはずだが
母はラジオを聞いていただろうか

竈にむかって背を丸めてしゃがみこみ
焚き付けの新聞紙を筒に丸めて
きんぎょや薬種店のウチワで
はたはたと火種を煽っていた母は

台所だけは母の世界だった
母の世界でないとしたら女たちの専制国家で
裏木戸を開けて入ってくる女たちは
ラジオが語らない世界の密かな消息を伝えあっていた


でも 懐かしんでるわけじゃないので誤解しないでもらいたい
燻る煙もムカデもきんぎょや薬種店のウチワも女たちの伝言ゲームも
あたしはまるっきり好きではなかったのだ

だからあたしは飛び出した
ラジオが語っていた世界へ

あたしが夢みたものは夢幻でなく具体的に存在していた
煙にむせることがないガスレンジ
油汚れがこびりついたりしないステンレスの流し
あたし自身の権限でどうにでもなる小さな世界
便利で近代的なあたしのキッチン

あたしは確かに少しばかり懐かしんでいる
あたしのあのキッチンを

でもあたしのあのキッチンと
母たちの専制国家と
どこが違っていたというのだろう

ささやかな改良は反逆ではなかった
服従を若干耐えやすくしたに過ぎなかった


今あたしのシステム・キッチンは
電子レンジに冷蔵庫はもちろんのこと
皿洗い機に食器乾燥機まで完備していて
したい放題に手抜きができる
まるきり料理したくないと言うなら
コンビニだのファミレスだのファーストフード・ショップだのが
あたしのために料理を作ってさえくれる

しかし

コンビニの弁当をつくっているのは
何を隠そうあたしたちだし
ファミレスで食事を運んでゆくのも
実際問題としてあたしたちだし
ファーストフード・ショップで0円のスマイルを売るのも
ほとんどの場合あたしたちだ

変化はあったがそれは革命ではなかった
支配を見えにくくしたに過ぎなかった


暖かさや安らぎや憩いが
誰かの指先から魔法のように生まれてくる と
いまだ信じている人がいる限り
この話は進まないし終わらないし
そういう人には理解しがたいかもしれないが
とりあえず結論を言うならば

あたしは夢みている
解放されたソウル・キッチンを夢みている
服従も支配もないそのソウル・キッチンで
男も女もてんでに暖かさや安らぎや憩いを生産する




[猫じゃないものたちの名前]


そんなにも簡単に
あなたがたは名付けうるというのか

猫に名前をつけるのだって
日曜の片手間仕事ではないと
歌った詩人もいたというのに

あの年の春
あたしのおなかには
父親のわからない子どもがいて
あの年の夏
あたしは望まぬ呼び名で呼ばれた

それでもあたしは猫ではなく人間で
もちろんあたしの子どもだって猫ではなかったから
ごはんにダシ粉をふりかけた猫まんまだけでは
どうしても生きてゆけなかったし
ましてTVの伝える街の火花なんか見ていても
ちっともおなかいっぱいにはならなかった

飢えているという自覚は常にあった
でもあたしは何に飢えていたというのか
あたしの何が飢えていたというのか
名付けられていないものが
名付けられていないものに飢えていた
名付けないでいる限り
それはあたしにとって神聖なものであり続けた

でもとりあえずあたしは
あたしの子どもを名付けなくちゃならなくて
ふた晩けんめいに考えて考えて
あたしにとって五番目に重要だった名前をつけたが
(一番はジョージ、次がジョン、その次がリンゴで、四番はポール)
名付けられたばかりのその生き物は
仔猫よりも弱くただ泣きわめくばかりで
須可捨焉乎(すてっちまおか)と思ったことも一度ならず
でもまあそんな苦労話をしたいわけじゃない
問題は名前
あたしはけんめいに考えて考えて
あたしの子どもを名付けたのだ

それをあなたがたは
そんなにも簡単に名付けようというのか

この子には名前がある
あたしにも名前はある
それは神聖な名前ではないが
あたしたちには重要な名前だ

この子とあたしを再び望まぬ名で呼ぼうとするならば
あたしはあなたがたに爪を立てよう
猫でないとしても
もはや若くないとしても
あたしにはまだすこしばかりの爪があるのだ




[日曜日の鉄筆]


鉄筆でがりがり書かれた文字があった
丸字とも違う変体文字で
独特な省略気味の文字で
もちろんそれはアジビラのためのもので

あたしはそういうのを書くのが
ちょっとうまかったものだ

しかしだからと言って今はもう何にもならない
ワープロの方が便利だしきれいなのでしかたない
町内会用のチラシを書くのにさえ役立たず
あたしの技能は持て余されている

でも今日は少しばかりヒマな日曜日で
少しばかりセンチメンタルな気分なので
脂じみた鉄筆を握って
黄ばみはじめたロウ紙に
がりがりと馴染みの文字をひっかいてみた
そうしたら背後から見ていた娘が言うのだ

おかあさんそれ本気なの?

もちろん本気だったんだよ娘よ今だってたぶん本気だ
あたしたちは常にめいっぱい本気だったのだ
だからあたしはおまえをみちこと名づけたのだけれど
おまえにはそんなことどうでもいいことかもしれない




[マルメロジャムをもう一瓶]


あたしを切り売りするように
あたしの時間は切り売りされ

うすぐらい工場であたしの手は
ひたすら箱を組み立てるためにうごいた

夜はFENを聴きながら
岩波文庫を読んだ
それだけがあたしの安上がりな教養で

でも本当は
小さな白い洋館で暮らす三人の少女の
笑いさざめくような物語がすきで
見たこともないマイセンのカップに憧れたり
ミルクパンでマルメロのジャムを煮て焦がしたり
ふろくのノートにつまらないポエムを書いたりして

革命の季節は感傷的に去り

シュプレヒコールをあげる亡霊たちは
未練がましくからっぽの伽藍を見つめていて

あの感傷と
この感傷と

どちらの流した血が多いか と
問うならばもちろん
毎月毎月血を流してきたこっちのほうが血まみれだが
そういう問題ではないようだから
大きな声で言うのはやめておこう

ともあれあたしはどうやら首にもならず
相変わらず工場で働き
マイセンのカップは買えないまでも
そのレプリカくらいは買えるようになり
マルメロジャムもそれなりに上手につくるようになり

時代は少しずつよくなっているさ と
いまさらビートルズを口ずさんだりしたが
その時代さえ過ぎ

売れ残った時間は
残り少なになってゆくのだ











「ルクセンブルクの薔薇」名義で書いたもの。
念のため言っておきますが私は1968年生まれ、
この詩のモデルは、私の母と母の世代の女性たちです。
そうそう、私の本名は、ほんとに「みちこ」です。
皇后のみちこサマからもらった名前ではありません、
これまた、念のため。


自由詩 小詩集「マルメロジャムをもう一瓶」 Copyright 佐々宝砂 2003-12-03 16:59:49
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労働歌(ルクセンブルクの薔薇詩編)