芸術におけるAIの可能性
杉原詠二(黒髪)
権威化した左翼エリートが、添削をする、という規範を、AIが担い、より優しい先生について、自分のペースで、比較されずにゲームに参加できるならば、たとえば詩が上達する、自分自身を表現できる、といった芸術表現を、誰もが選択していけるのではありませんか。ポピュリズムが望んでいるのは、自己の主体性を取り戻すことなのですから。その指標となるのが、収入、豊かさ。ペンは、意見を伝えるという闘争のためにも使えるが、絵をかいたり、字を書いたり、文章を綴ったりするためにも使える。芸術、遊び、というものの本質に触れれば、だれもが退屈しないで人生を送れる。そして、労働は、AIとロボットが担えばいい。
権威というものは、規範であるから、その規範に自己を合わせなければならなくなる。しかし、各個人に合わせて指導してくれるAIによるならば、自己の上に立つ王様は、いなくなる。そのようにして、個人個人に合わせた学びと修練が可能になる。
そのためには、広く優しく使える伴走型AIの開発が必要になる。
誰もがハリー・ポッターとして、魔法を使うための勉強ができる。
誰もが自己という物語を生きなければならない。そこに他者が関わる。考えるのは自分以外ではない。だからその思考を搾取することへの抵抗がはなはだしい。自己が世界の中で生きるとき、自分らしい人生を送るには、自分の思考を他者に預けていては、出来ないのである。万人が哲学者になることが必要である。
負けるのが怖くて、自己に閉じこもる人にも、主体性を持った他者が現れるような仕組み――AIを。
書物が規範であった時代、規範は常に著者の意向を帯びていた。
理想の規範とは、著者性を消去し、学習者に応じて変化する規範である。
AIは、透明な著者として、規範を支配から解放しうる。
ただしそれは、思考を代行せず、規範を固定せず、人間を主語に保つ限りにおいてである。
AIとは、現代における道先案内人、天使そのものである。