氷の世界
室町 礼
わたしはこのところ十五年ほどのあいだ、
よくいえば仙人のような、バカにすれば世捨て人
のような生活をしていました。
新聞テレビ雑誌をいっさい読まずもっぱら中国本
土の配信会社iQIYI( アイチーイー)や芒果TV
(マンゴーTV)など四社と契約して中国ドラマに
毎日浸かっておりまして、
酒、タバコ、ギャンブル、遊行、女遊びその他
いっさいのムダな行為、行動をとらず
ただひたすら42インチ液晶テレビの前に座って
朝からまんじゅうやチョコレートを山ほど食らって
脳みその報酬系をたえず満足させ、
現実世界でどのような変化が起きているかまったく
思慮の外でした。
ところがこの年末が差し迫ってからはじめて異常事
態が生じました。
三菱UFJ銀行はネットから振り込みをするのにワン
タイムパスワードの毎回変わる認証番号が必要なの
ですが、そのワンタイムパスワードを表示させる液
晶カードの電源が切れていたのです。ぎりぎりの瀬
戸際でどうしても完成させなければならない振り込
みが差し迫っている瞬間にいきなり電池切れなんて
信じられない出来事でした。
すぐにカード裏面にある電話番号に電話して応急対
処法を求めたのですが、
電話口に出た二十代とも思われる若い女性が異様に
ゆっくり喋るのです。しかもその喋るスピードがメ
トロノームで計ったように一定で、まるでロボット
かと思われるような感情のなさ。
その声がゆっくりゆっくりと「オウキュウ ショチ
ハ デキマセン」
と告げる。これがまた声に一切の抑揚がないのです。
「新規液晶カード発行ニハ 最低デモ 7日 カカ
リマス」という。しかし聞き取れない。早口ことば
だと少々早くても意味が理解できるのですが、極端
に遅いことばは、途中で意味が消えてつかめないこ
とを初めて知ったわけです。
それほどゆっくりとした、しかも抑揚や感情のいっ
さいないスピードでした。三回ほど聞き直して初め
て最初のほうが理解できるというような異常な声の
スピードとリズムでした。
正直わたしはじぶんの振り込みの遅延による事態の
深刻さよりもこのことで初めて外部世界が相当に病
んでいることを知ったのです。
正社員か、派遣社員か、あるいは外部に委託した電
話対応部署か知りませんが、銀行がここまで電話口
での対応の声を非人間化させていることにゾッとし
ました。
こんな声調で電話対応させられている女性の心の状
態とはいかなるものかと考えると、突然、いままで
一顧だにしなかった外部世界が病んだ氷の世界であ
ることをまざまざと実感し、眼の前に中心部が青い
氷柱が出現たのです。これが現在です。
「あのう、もう少し話すスピードをあげてくれませ
んでしょうか。それほど遅いと、意味がつかめない
のです。それともそういうマニアルがあってそのス
ピードを厳守させられているのでしょうか」と尋ね
ると「いえ、そんなことはありません」という返事
が返ってきた。これが黒柳徹子なみの声の速さで、
テキパキと聞こえるし、瞬間に意味も理解できる。
「あ、それ。その速さでお願いできますか」という
と相手は黙ってしまった。すぐには自分本来の声調
に転換できないような感じで、戸惑ったように黙っ
ている。
なんて抑圧された社会か、と呆然としました。
こんなひどい社会になっていたのかと暗澹とすると
同時に、この抑圧された社会の深刻さにほとんど絶
望のようなものを覚えたのです。
わたしはその女子電話応対係が気の毒になって電話
をすぐに切ってしまいました。考えてみれば、ネッ
トでダメなら近くの三菱UFJに自転車で走ればいいだ
けのことでした。昼飯も食わずに自転車を走らせて
銀行窓口で手数料を払って振り込みましたが......
帰り道、やっぱり詩がいまほど必要なときはないなと
確信しました。
それもジャーナルな方向に向かっている今の詩の方向
性はまったく現状にそっていない反動であるとも確信
しました。
難解な現代詩こそが今、発信されるべきであると。
最近、投稿された批評に「詩は衰退したのではなく、
移動した」という意見もあるけれども、それは移動で
はなく、まごうことなき詩の衰退です。
「詩の影響力は音楽やSNSへ移動した」という主張は、
わたしから見れば詩人が自己を捨てて、社会的な分か
りやすさに身を売ったという、詩の敗北宣言に聞こえ
ます。読者に歩み寄る(橋渡しする)の
が詩の仕事ではないのです。 むしろ、読者の側が今の
自分の安らかな生活や分かりやすい常識を捨てて、
その強烈な言葉の深淵まで降りていくことを要求すべ
きですし、それがあたりまえの詩的営為です。
そうでないと、あの電話応対係の女性の深く病巣のよ
うに沈着した抑圧をだれが代弁できるというのか!
詩の読者が今までの自分ではいられないほど揺さぶられ、
未知の領域へ引きずり込まれるような難解な詩が書か
れなければならないのです。たとえだれにも読まれない
ことになるかも知れないとしても、それは必ず詩の
価値を押し上げている詩人の宿命的な行為だと思われ
るのです。
ここまで時代と社会と人間が狂ってしまって
いるのに、あんた、なんと脳天気なことをいってるの?
そんなことを考えながらロダンの考える人のように
固まっているわたしでした。