抒情詩 Ⅱ
岡部淳太郎
俺は死ぬ。その死骸のうえを歌が流れる。俺の死骸と
いうウラル山脈を越え、俺の腕や脚というカムチャツ
カ半島を越え、歌は悠然と流れつづける。なぜ俺は死
んだのか、既に死んでしまって脳髄が破壊されてしま
った俺に思い出せるはずもなく、ただ裏切りと暴動と
爆発と血の臭いと、それらに呼応した獣たちの叫びと
がイメージとして空気中に残っては漂っている。それ
だけだ。俺は意味もなく死んだ。俺だけではない。こ
の世界のすべてに意味などなく、生まれるのも生きる
のも、死ぬのも殺されるのも、それを見て誰かが涙を
流すのも、為政者が眉一つ動かさずに命令をくだすの
も、すべてに意味などないのだ。その意味のない世界
のうえを雲や風のように誰が作ったのかわからない歌
が流れてゆく。それが世界の、それを覆う宇宙の、た
った一つの在り方としてある。そこにどんな思想も、
崇高な人間主義もいらない。どんな不幸も、どんな惨
事も、すべては歌に包まれ、歌に見守られてあるだけ
だ。予め言われていたことも、何か大きなものから預
けられたことも、それらを含む信仰も、ただの抒情的
な歌が流して、時の向こう側に吹き飛ばしてしまう。
俺は死ぬ。その死骸のうえを歌が思い出のように流れ
てゆく。俺の死骸を歌が包み、世界が包み、世界を宇
宙が包んで、その虚空に歌が漂っている。その無意味
という救い、歌に見られて死ぬという救い、死してな
お、漂う歌にふれる喜びという無意味(という救い)。
(2022年3月)