前略、京都駅で見かけた茶髪のカギっ子へ
ヤマト

カギっ子を見た

21世紀のこの時代に
まだカギをクビからぶら下げているんだな
って、感心する一方で
とてもなつかしい記憶がよみがえった


かく言う僕もカギっ子だった

両親が共働き
歳が離れた姉も働き
学校に通うのは僕だけだった10数年前

毎朝親が書いていく
手紙がなぜだかとても好きだった

そこには「_時に帰ります」だとか「ご飯買って食べてね」だとか
そんなことしか書いてなかったが
親がいなくて寂しい一方
なぜだか愛されているような感じがした


ちなみに
母はボールペン
父はなぜだか筆ペンだった


「手紙」と言うものは不思議なもので
ワープロで書くより手書きのほうがあったかい感じがする
例えば年賀状
プリントごっこより、手書きのほうがもらって嬉しい気がしませんか?

子供とコミュニケーションがとれない人が増えていると言う
(誰が言ったか忘れたが)
案外、手紙ってものは簡単なコミュニケーションの方法なのかもしれない


茶髪のカギっ子よ
親とはうまくいってるかい?
誰もいない家でも「ただいま」って言ってみ
帰ってきたら「おかえりなさい」って言ってみな
な!


自由詩 前略、京都駅で見かけた茶髪のカギっ子へ Copyright ヤマト 2005-06-03 00:42:03
notebook Home 戻る