山仕舞い
山人
十一月一日
悪天だったがこの日を逸すると雪が降ってしまうかもしれないと思い、向かった。冬枯れの登山口は老いた自分の終末への入り口のように静まり返っていた。
冷たい雨が時折強く、その上風が木々を揺らしている。しかし、体は徐々に熱くなり、雨具の下は汗で飽和されている。通い詰めた登山道の其処此処の地形は手に取るようにわかってはいたが、それがいったい何の得になるのだろうと改めて感じてしまった。
ブナの葉は、程よく緑と黄色がモザイク状に分布し、雨なのにあたりが明るくみえる。木々の紅葉は太陽の日差しの下では本質を表さない。雨だからこそ、その色合いの本質が明るく呈される。
雨風の山頂は霧も発生し、そそくさとロープを結んだ鉄筋棒を倒伏して下山にかかる。二か所ロープ倒伏作業を行い、下山途中の登山道の分岐地点の道標を抜き、ナイロン袋に収納し木に縛り付ける。昨今は、このナイロンを美味いものと思い、獣が引きちぎったりするから困りものだ。
こんな悪天に山に行ったのは過去になかったわけではない。が、高齢者になってからは初めてではないだろうか。高齢者の登山による低体温症での事故。気を付けなければなるまい。
十一月二日
昨日一日はS岳の山仕舞いであったが、この日はA岳に至り、県境尾根を下山することとしていた。登山口の大駐車場にはわずか一台の車が停車していた。朝は雨が残るものの、夕刻までは雨の確率は低いとのことである。
昨日の雨と、朝方の雨で登山道は小さな沢のように水が流れている。長靴なのでどうということはないが、登山靴では難題だろう。途中の沢も増水が著しかったが、長靴でざぶざぶと渡れるレベルだ。
連日の作業登山で足は重く、ここ一か月以上山登りはしていなかったからなのか異様に疲労を感じてしまう。
目的の作業場所に着くと、汗をかいた衣類は冷たく、このまま我慢すると低体温症になる恐れがあったので、汗に塗れた中間着を脱ぎ、ザックの中のフリースを着た。肌着は速乾性の七千円台のものだが、実にクリアに汗の気配もないほど処理してくれていた。
道標は全部で大小合わせて五か所、ロープ撤去は長いものが三か所とそこそこ時間がかかった。
帰りは県境尾根を下るが、途中で強烈なアップダウンがあり、でんでんむしのように上った。
紅葉は見事であった。冬にスキー滑走した尾根や沢が見事に色づいていた。
五月末から山開き準備に各所登山道を回り、支障木処理、植生保護ロープ設置、補助ロープの取り換え、道標設置、でシーズンが始まり、登山口管理棟内の清掃や除草、トイレ掃除なども始まる。八月半ばから各所の登山道除草が開始され、九月に終了。ようやく落ち着いたと思った頃山仕舞いとなる。
本来ならば、こういう登山道整備や山小屋経営で調理をしたり、雑用をしたりで年中回せればいいのだろうが、年間を通じ、ほぼ登山者と釣り客がメインな所なので何か別な働き口がないと売り上げ的に厳しいのである。その、いわゆる「別な働き口」もすでに十六シーズンが経過したわけだが、さすがに厭になっている。労働そのものは好きな職種なのだが、いかんせんグダグダと長い打ち合わせに辟易するのだ。・・とまぁ、シーズン終わりになると、決まってこういう心情になるのだが、えいやっと辞めれない諸事情も抱えているのだ。悩みは深い。