打弦幻聴録
ただのみきや

身体があるのかないのか
あるのならそれがどこにあるのか
わからないが
無数の手を生やしている
時間とは いわば剥奪者

人が変わるのは
往々にして引き算だ
なにかを得たつもりで
いったい幾つのものを失くしたのか
気づくのはずっと後のこと

整理されていく
混沌から 
秩序へと
やがて割り切れない
素数のようなものだけが残る
1以外 すなわち人であるということ以外
何者とも割り切ることのできない己だけが

現実が認識の前に存在していたとしても
人ひとりひとりを
夢見る一個の宇宙卵ととらえるなら
意識のまだ暗い水平線から
認識の日差しが訪れるのは
まさに 「 光よあれ 」
現実の創造に他ならず───

───だが次の瞬間から
剥奪行為が始まる
時間という魔物のいやらしい無数の手が
いっせいに群がって
猜疑心や恐怖心 
羞恥心などを刺激し
他者のことばや世間の眼差し
そんな鏡の歪みで認識を捻じ曲げ
無数の類似の事象を提示しては
感動から色を奪い鈍麻させ
たましいを唖にする
そうやって出来た綻びを見つけ出し
時間は手あたり次第に捲って摘んで引き剥がす
残された傷口の虚無を諦めの瘡蓋が覆い
忘却の蛆虫ばかりが無言のまま肥え太る

新鮮な気づきの感覚とそれを追う死者の五感
ぶれて重なった虚実の像
あるいは連綿と続く口をつぐんだままの無数の断末魔を
綻び穴だらけになった長い影のように引きずりながら
わたしたちは───
(わたしが言う「わたしたち」とは大多数の人ではなく 
まるで同じ鏡の破片のような
ことばと白紙の彼岸にいる「誰かたち」のことである)
───瞬間ごとの祝祭
気づきと創造のめくるめく対流を
卵のひびから音色のように破水させながら
あの無数の手 時間という剥奪者に絶えず
犯され あやされ 剝ぎ取られ
葬列から葬列の旅
失った自分 そして
もはや他人と化した自分
無数の虚像が捨てられた大地の裂け目
さまよえる共同墓地

しかし抗おうとするなにかが
荒野に身を起こす
それは妙なるうねりを宿した
直立した残骸だ
白紙にぬっくと立ち上がり
炎をまとった卒塔婆が
その文字が軽妙に踊り出す
書き手が封じたものを
読み手が解き放つ
ああ直立した残骸よ
妙なるうねりを宿すもの

夏のねぐるしさから逃れ
女の狂が紅葉する
滝のように立つ
男の胸はすでに背中だった
曇ったガラスに書いた文字の向こう
日なたの枯草みたいな笑顔が
瞬きするたび遠のいて
耳に縫い付けた遺骨のようで
死んだ子犬でも抱いているようで
あなたのこころの裏口を開けたようで

わたしたちは俯瞰しすぎたのだ
互いに本でも読むように
得るためになにを
得る度になにを失くしたのか
わたしはわたしを得るために
わたしの半身を失った
わたしは思いのほか他者で
他者たちは思いのほかわたしなのだ

雲の極りにも気を留めず
女神の裁ち鋏で
花でも活けるよう
みずからを割礼し続けた
騒がしい死者として
像を失くし
記号へ解かれ
愛に飢え
物乞いのたましいとして
ほおづき色に染まり
吐瀉物のように避けられながら
あなたの膝を探している


                 (2025年10月12日)











自由詩 打弦幻聴録 Copyright ただのみきや 2025-10-12 10:09:34
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