ことばの美はどこに隠れている(更正済み版)
室町 礼

「語られるべき内容がほとんどなくても、
言葉は無限に増殖して一冊の本になることができる」
         (『文体練習』レーモン・クノー)

  ───── ─────


    『やあ』  
 ははっ
 やるせなくなってからでは遅いんですよ、博士

    『媚態と陽だまり』
 なんだろう、この詩は。「ねぇ、見てて」と"言ってくれる人"

    『産声』
 あまり人と人の間に区別を設ける考えは好きではないのだけど、

    『不可視の焔』
 切ない。
 「僕」は、"君が聞かせてくれた 夢の噺をまだ覚えて"いる。

    『ひとりでゆくけれど』
 やっと想いも嘘も忘れた冬の夜に

    『物語 8』
 topological space
 どこから見ても透き通っていて

    『光、往路、』
 ○豆腐
 しかし。
 まがいものにあふれたこんな世の目と鼻の先を一歩二歩三歩

    『人間』
 時間が過ぎるたび不安に成る
 この体がもとに戻るか

これは、詩投稿サイト、ビーレビの投稿作 19623作の中から全年
間を通して"一番コメントの少なかった"作品の順にタイトルと冒
頭の書き始め一節を抜いて並べたものです。
それ以外は何の手も加えていません。
個々の投稿作の質はそれぞれなのに集合としてみると全体が「現
在」を強烈に指し示す詩になっている。なんでもない冒頭の一節
のひとつひとつが連合するとそれを統合して読むわたしの中で不
思議なポエジーを生成し胸を打つものがあります。
その秘密を探ろうという試みです。

このような並べ方は「目次」の一種なのですがネット投稿板で活
躍されている田中宏輔さんの引用詩の手法に似ています。わたし
のみるところ「引用詩」というのも「目次」の一種なのです。
田中さんの引用詩に出会う前にある女流詩人の詩のエッセイを読
んでいてその詩人が有名作家の講演本の目次だけをみて「現代詩
になっている」と感動しているのを読んだことがありました。ず
いぶん昔の話なのでもうその女流詩人の名を思い出せないのです
が、彼女は「目次」だけをそのまま抜きとってそれが詩になって
いることに感動していたのです。これはそれほど特殊なことで
はなく「yahoo知恵袋」なんかをみると小説そのものより、ある
いは表紙の絵やデザインより「目次」を読み、目次を蒐集するこ
とを楽しみにするヘンな趣味の若者がいました。どうすれば目次
を集められるか質問しているのです。目次ってのはたとえば、

『谷川俊太郎 愛 ポエムピースシリーズ』
 目次
 ──
 これが私の優しさです
 ともに
 愛 Paul Kleeに
 ふゆのひ
 ののはな
 あかんぼがいる
 あいしてる
 ごちそうさま
 あのひとが来て
 家族
 おばあちゃんとひろこ
 十二月
 魂のいちばんおいしいところ
 願い

あまりいい例じゃないのですが面倒なので手元からいい加減に
引いた「目次」です。 こんなものでも前半部分にはなんらか
のポエジーが陽を差している。  
こういうものを蒐集して眺めながら面白がっている人がいる。
本人はただの「目次」好きのヘンな人間だと思っているようです。
先の女流詩人もそうですが「目次」には意図的な詩の意味はあり
ません。とくに女流詩人が感動した講演集の「目次」はひとつひ
とつの講演内容を独立して一行で説明羅列しただけで、ひとつの
詩として編まれたものではないからそこに深い意味はないのです。
ひとつの詩として意図された構造もないし意図された感情もレト
リックも思想もない。
ではなぜ女流詩人やヘンな若者は「目次」に惹かれるのか?
おそらくそこには全体としてことばの"美"があるからでしょう。
文節の連合を統合するとき美を感じるからです。
ふつうの人が「目次」に美を感じることは少ないと思うのでこれは
詩人にだけそなわった特別な感性だとわたし個人は思っています。
まったく無関係なことばを意識のなかで連合させて美を見出す能力。
これが詩の成立にとって大事な要素のひとつじゃないかと思うので
す。
だからわたしは詩を読むときレトリックや意味や思想よりもそこ
に美はあるのか? とまずは問い、全体を俯瞰します。
内容だの隠喩だのよりどちらかというとことばの選択とリズムに注
意を払います。頭脳が関与する、ことばの分析的な解釈に興味はあ
まりなく直感的な身体的本能が感受する領野のことばに目がいくので
す。
大阪のなんば花月劇場前にジュンク堂という三階か四階建ての大きな
本屋があってそこへ行くと猛烈な速度で本を次から次へと読んでいき
ます。一冊棚から抜いて開いてほぼ十数秒でどの程度のものかわかる。
絵画的音楽的な面から──つまり文体の良し悪ししか見ないので十分
もしないうちに五十冊以上の本を吟味できます。二十分もあれば百冊
以上は読める。しかしその前にあきらめます。まだまだ時代はわたし
が求めているような文学を復活させる時代に入っていないと。
そして結局、好みに合う本がないので一冊も買わず帰ります。ジュンク
堂にしてみればいい迷惑です。でも買いたいのに買えない。
かつてはジュンク堂へ行けばせっかくだから必ず推理小説やスパイ、
冒険小説を数冊は買っていたのですが、90年以後は買えなくなった。
段々、翻訳の文体が皆同じになってきたからです。いわゆる村上春樹的
なつるんつるんの翻訳調文体で、どれを読んでも皆同じ調子ってのでは、
どれほど人気があり内容がよくてもわたしにはどういうわけか読めませ
ん。汎用の翻訳形式ばかりだから次のセリフまでわかってしまう。テレビや
映画でプロの声優が吹き替えで語るあの調子です。西部劇の保安官もの
ならそれ用の例の西部の保安官の発音、声調とセリフがある。アメ
リカの家庭の主婦なら主婦で必ずある種の調子の声とセリフがあるのと
同じ。このような吹き替えの声と同じようなマニアルチックな同じ調子
の文体をまったく気にとめないでストーリーを追える人がうらやましい。
まず日本の現代小説のほとんどが読めなくなるんですよ。
詩はかろうじて読めますが最近は現代小説と変わらなくなってますから
これまた読めなくなっています。文体がどこかで見た翻訳調の文体だか
らです。
ビーレビには熟達のネット投稿詩人が多くおられますよね。中田満帆さ
んとかゼンメツさんとか。
澤あづささんなんかが絶賛していますし人気もあります。わたしも唸る
ほど上手だなと思う。大したものだと思います。でも、読めない。
上手いのは上手いし凄いと思うのだけど文体がどこかで読んだ気がする
翻訳調なのが気になるのです。うまく溶け込んでいるな、自分のものに
しているなとは感心するのですが読めない。内容、思想、技巧がどれほ
どあろうと、どこかで読んだ例のあの文体だと思うと読めない。
文体に独自性がないと、わたしにしてみればその詩は「そのひとの詩」
ではなく「みんなの詩」なんです。そしてそういうものからは美を感じ
ないのです。これは悪い運命のもとに生まれてきた感性です。
天然自然に個性的に"脱臼"したことばならわたしは内容が悪くても一日中
でも読んでいられます。そういう文章なかなかお目にかかれないのですけ
どね。
で、結局わたしがこの30年のあいだに買った小説はわずか一冊だけで
した。アーサー・ゴールデンの『さゆり』です。いつものように、
ジュンク堂で矢継ぎ早に本を抜いては戻しながら「やっぱりだめか」
と半ばあきらめていたところ、ストンと手がとまる小説があった。
その文体たるやワンパタの翻訳ものの文体とはまるで違うことが一
目瞭然だった。まるでほんの少し脚に疲労がきているような泥だらけの
百姓がごつごつした節だらけの手で書く小説、といえばいいのか、
そういう手でこつこつ書いている文体だった。
これはたまらないと思いました。内容なんかどうでもいい。これなら
一日二十四時間、毎日でも読める。そして読んでみると恐るべき内容
と哲学の小説でした。読後、まったく知らなかったこの世の冷蔵庫の
ような世界を知ることになる。マネーとは何か。その純粋さと怖ろし
さを。しかしこの文体を理解できなければその空前の金銭哲学と人生
論は理解できないだろうと思いました。
実際、この小説は映画化されたのですが陳腐な「フジヤマジャパン」
のおいらん芸者映画になっており、予告を見ただけで見る気もしませんで
した。さて、翻訳者はおそらく只者じゃないはずでした。わたしは
愚鈍なものですから、というかあまりにも呑気というのか、今これを
書いているきょうまで翻訳者のことを詳しく調べてなかったのですが
いま調べてみるとヘミングウェイの『老人と海』を翻訳した小川高義
でした。

そこでもう一度冒頭のビーレビの投稿作19623作の中から全年
間を通して"一番コメントの少なかった"作品の順にタイトルと冒
頭の書き始め一節を抜いて並べたものを思い出して下さい。
"個々の投稿作の質はそれぞれなのに集合としてみると全体が「現
在」を強烈に指し示す詩になっている。なんでもない冒頭の一節
のひとつひとつが連合するとそれを統合して読むわたしの中で不
思議なポエジーを生成し胸を打つものがある"と書きましたが、な
ぜでしょう。意図された構造のもとに思想や感情が練り込まれたもの
でもないのになぜわたしの心を波立たせたのか。
「目次」という形式によって連合された各個ばらばらの文節はわた
しの中で統合される寸前までいっさいの制約から解放されている。
無意識に作者を冒す●●風の文体がない。文学にのめり込んだことに
よって無意識に刷り込まれた●●調から解放されて自由になった無謬の
ことばが、個々に深く背後にこめていた〈現在〉というものを連合す
ることによって浮かび上がらせるのではないか。
それが〈現在〉という文体を生み出し、それが美をもたらしたのでは
ないか、
とわたしは思うのですが、ちょっと強引かもしれません。



《資料》
ビーレビ
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夏立むぎ
はちみつ
花澤悠
吸収
湯煙
yutaka77


散文(批評随筆小説等) ことばの美はどこに隠れている(更正済み版) Copyright 室町 礼 2025-09-12 12:35:58
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