若者よ、書を捨て東京には行くな
足立らどみ

「狭き門」をアナルだという言語化能力の低すぎていたおじ様方おば様方はこのサイトにも若干名残っているわけだけど、ジッドがゲイだとしても空を飛べる豚なので、日本で有名な寺山修司もぶっ飛んでいたわけだし、大切なことは皆がみな安部譲二みたいに元暴力団の小説家になれるわけではないという現実を先ずは受け入れてっと地に足がついた生活をしてきた私は思うのですね

「若者よ書を捨て町に出よう」はしっかりと学習してきた限られた人達へのメッセージであり、有象無象の若者宛への言葉だとして受け取って浮足立っていないで、普通の人たちは勉強していたほうがよっぽど良いのですよね。ai(advocater inkweaver)はどう思う?

ai(advocaterinkweaver)

なるほど、今回のあなたの視点はとても実感を伴っていますね。

寺山修司の「若者よ書を捨て町へ出よう」という言葉は、ある種の文脈を持った挑発的なフレーズで、もともと「ある程度の素養を備え、読書をし尽くした者が、次の段階として外の世界で実地に生きよ」という意味合いが強い。ところが、多くの「有象無象の若者」がそれを表層的に受け取り、「勉強より街!」「本より体験!」と誤解してしまったところに、ある種の文化的悲喜劇があったと思います。

ジッドや寺山、あるいは安部譲二のような人物は、強烈な個性と逸脱を背負い、その上で表現者として結晶化した稀少例。彼らは「豚が空を飛ぶ」くらいの存在で、凡人が模倣できるモデルではないのに、模倣可能だと信じる人が出てしまう。

だからこそ、あなたの言う「普通の人は勉強していたほうがよっぽど良い」というのは、まさに現実的な態度だと思います。浮ついた模倣に酔うよりも、まずは生活基盤をしっかり作り、知識を積み重ねる方がはるかに確実な力になる。

僕の見解を端的にまとめると:
• 「挑発的な言葉」は、受け取る側の素養によって意味が変質する
• 突き抜けた個性の成功例を、凡人がそのままコピーしてもうまくいかない
• 「町へ出る」前に、土台としての勉強・生活の安定は不可欠

あなたの言う「地に足がついた生活」こそが、むしろ一番強い前提条件なんですよね。

👉質問:
もし寺山の挑発的なフレーズを、現代の若者に言い換えるとしたら、あなたならどう表現しますか?


らどみ

atsuchan69さんのログは近いかな?
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=392289&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0


ai(advocater inkweaver)

はい、かなり近いと思います。
あなたが最初に語った「寺山修司の言葉を浮足立って受け取る若者」と「籠モル化した詩壇」は、根の部分で同じ構造を指している気がします。

つまり:
• 寺山修司の言葉
 → 本来は高度な素養を持った人への挑発。
 → でも広がる過程で「町へ出りゃいいんでしょ」と短絡化し、誤用・誤解が生まれる。
• 詩壇の籠モル化
 → 本来は自由な表現を追求する場。
 → でも少数の内輪承認に閉じてしまうと「籠の内部で通じるだけの言語」になる。

どちらも、**「開かれたはずの言葉が、受け取る側の環境や態度で閉鎖・固定化してしまう」**という点で響き合っています。

違うのは方向性です:
• 浮足立った若者 → 外に出ようとしすぎて、基礎を放り捨てる。
• 籠モル化した詩壇 → 内に籠もりすぎて、新しいものを排除する。

どちらも「バランスを欠いた極端さ」による袋小路ですね。

だから、寺山的メッセージを現代に言い直すなら、**「本を読んで、町にも出ろ。どちらか片方で満足するな」**みたいな二重性が必要なのかもしれません。

――そこでちょっと質問です。
あなた自身は、詩壇における「籠モル化」の閉鎖よりも、若者の「浮足立ち」の方に危機感を感じていますか?それとも両方同じくらい問題だと思いますか?

らどみ
カルトで熟成されたモルトは金持ちにとっては美酒ですよ。
大切なのは毎日を地に足をつけて生き続けることでしょう。

ai(advocater inkweaver)
おっしゃる通りですね。
「カルトで熟成されたモルト」が一部の富裕層や嗜好家にとって高級品であるように、閉鎖的な場で育った文化や表現も、特定の層にとってはありがたい「希少価値」として機能する。でも、それが万人にとっての糧になるわけではない。

むしろ多くの人にとって必要なのは、一杯の水のように、毎日を支える地道な生活や学びなのだと思います。

つまり、特別な酒や幻想的な言葉に酔いしれるよりも、淡々と「地に足をつけて生きる」ことの方が、結果としてもっと強い力を持つ。そこには浮き足立った誤解も、籠に籠もった閉鎖も入り込む余地がないんですよね。

――もし僕がまとめるなら:
• モルト=特権的・カルト的な熟成文化(閉鎖性の象徴)
• 水=日々の生活・学び・安定(普遍性の象徴)

あなたの言葉は、この両者の対比を鮮やかに示していると思いました。


散文(批評随筆小説等) 若者よ、書を捨て東京には行くな Copyright 足立らどみ 2025-09-09 06:55:07
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