AI短歌という玩具について
室町 礼

在るネットメディアの記事ですが、
俵万智という売れっ子の歌人がAI短歌につい
て話しています。
浦川通という人が「入力された上句575」の
あとをAIが続けて生成するソフトを開発した
という(上句5だけでも可らしい)それを俵
万智と短歌甲子園で準優勝の大学生(俵万智
の息子さん)が試している。
AI短歌生成ソフトのなかでも特に、
俵万智の短歌をすべて学習させたAIがあって
それを「万智さんAI」というらしい。
「この味がいいねと君が言ったから」
と俵万智が上句を入れると次のように生成さ
れる。
1️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   ほぐせば今日はつるりと世界
2️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   我を愛せよ二本のパンで
3️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   いいねの道を呼びこまれてる
4️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   おまえの手紙を摘む昼下がり
5️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   だるさ見ており「母さん」として
6️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   君の言いたいもの青い花
7️⃣ この味がいいねと君が言ったから
   ここは寂しい海に似ている

「万智さんAI」だと、なかなかにそれらしいも
のが次々と出てくる。1️⃣なんか妙にシュールな
趣がある。ただし1️⃣~7️⃣まで音数律のせいで雰
囲気は出ているのだけど言葉の関連性にも関係
性にも整合性や必然性がないから情感の根拠も
不明でよくわからない歌になっている。
AI生成短歌をみたのはこれが初めてだけど、正
直今後はあまり読みたくないという気分ですね。
AIが作り出す下句には上句との心的関係性がな
いからです。心的関係性がなくて上句の語句そ
のものだけから既存の表現を言葉だけの関連性
として拾ってきている。
1️⃣なら「つるりと世界」といういう表現は、
  Tシャツをつるりと脱げば丁寧に
  母の視線にたどられている
        (『サラダ記念日』)
あたりから「つるり」という副詞を自動的に
抜いてもってきている。とうぜんその選択に逡
巡や内省や葛藤がない。つまり〈選択〉と〈転換〉
がないのです。あるのは辞書的な言葉の定義から
くる関連性だけです。
「この味がいいねと君が言ったから」という表現
との心的な関係性は存在しない。関係性ではなく
関連性だけで歌が作られている。
「ほぐせば今日はつるりと世界」なんて不気味す
ぎてブルース・リーみたく「はちゃああ」となっ
てしまう。
ということはこれはAI短歌ソフト制作者がなぜ
俵万智を選んだかという作家性の問題にもつながる
可能性がある。おそらくAIは『林檎貫通式』を
書いた飯田有子には歯が立たないでしょう。

  婦人用トイレ表示がきらいきらい
  あたしはケンカ強い強い

  たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグ
  たすけて夜中になで回す顔
           (『林檎貫通式』)
徹底的に内省的思索的感性的な歌だから真似ようが
ないのでAIが生成してもめちゃくちゃな歌になる。
しかし俵万智にはもともとAI的な要素があるみた
いでどこかAIと親和性がある。最後尾にネット
番組のURLを貼り付けておきますが俵万智は「AI
のほうがいい短歌をつくれる」と語っている。
そんなことはないのです。
そう思うのは俵万智の歌の作り方がもともとAI的
だったからとしか思えないのです。人気は出たけ
どわたし個人は発泡飲料のような短歌だと思って
います。それでいいのですけどね。好みの問題に
すぎませんから。でも発泡飲料のような短歌はわ
たしでもちょっと姿勢をそっちのほうにもってい
けば幾らでもつくれます。コツを掴めれば。でも
そういう歌をつくれるとしても自分のこころがそ
れを忌避する。人間のこころってそういうもので
す。
それにしても短歌の韻律って無機が生成した短歌
でも、音数律の韻律によっていかにもそれらしい
雰囲気だけは出てしまう。このあたりが短歌嫌い
の一部の詩人には不愉快なところだったのかもし
れないな。

次にAIに作らせたものを自分の歌として公開する
ということはどうなのかという問題がある。
正直、AIがもっと学習して日本の有名無名全歌
人の歌を記憶し、アルゴリズムだの傾向性だの
を(知らんけど)学習させればそうとうにそれ
らしい歌や詩や小説が生成されるかもしれない。
まあ、それはそれでいいのじゃないか。というか
だれもそれを止めることが出来ない時代に入って
いる。それはそれでいいでしょうね。
書く楽しみや、詩歌を生み出すまでの愉しみを端
折って、それを遊び道具として弄ぶ愉しみが優先
する人間社会がくるのを、これもまただれも止め
ることができない。
でも面白いでしょうね。
心を持たないAIの詩を、批評を自慢する人が「こ
の言葉の深層心理はね」とかいって解説している
のをみるのは、シュールじゃないでしょうか。そ
れとも眼識の高い批評家にはある作品がAIかどう
か見分けられるでしょうか。う~ん、
なかなかむつかしいでしょうね。でもわたしの短
歌風の短文はおそらく逆立ちしてもAIにつくれな
い。
作れるのならわたしは今、こんなに社会から孤立
していないし、ネットでも皆から慕われている。
逆をいえばネットで人気があるような人の詩歌
はかんたんにAIも模倣するでしょうね。将来。
というのはそもそも現代の人間がAI化してきてお
り、その投稿作品もAIが造ったものと近似してき
ているからです。マルクスの自然哲学によれば
(人間がAI化しAIが人間化する)のは人間と自然
の必然です。怖ろしい予見哲学ですが。それほど
今の時代の詩歌は
じぶんではじぶんの心的表現のつもりでも「みん
なの心」の表現であることが多く、
かつ、わたしのような者には無味乾燥でもAI化
しつつある現代の若者にはけっこうそれが新鮮で
ウケる。そういう時代になっています。
時代はAIです。(知らんけど)
テレビ番組でやってほしいな。さあて、この詩歌
はAI製でしょうか人間製でしょうか、はい、スイッ
チを!

(参考記事)
https://www.asahi.com/special/tawaramachi-aitanka/


散文(批評随筆小説等) AI短歌という玩具について Copyright 室町 礼 2025-08-29 10:23:09
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