詩の水族館
ハァモニィベル
―― 死んだ魚が光ることを、はじめて觀察したのは
アリストテレスであった。〈左京〉
頬につたふ 涙 拭わず
白砂に われ泣きぬれて蟹と戯むる 〈啄木〉
人はふしぎなもので、自分の景色の中に住んでいる
月光の海には盲魚が居る。
盲目は光を感知しない、―感知しても氣づかない―。
眞實は燐だ。
形ある物証以外のものを否定する 〈朔太郎〉
蒼黒い水のおもてに、春の光がきらきらと浮いてゐる。
水底の藻の塊を押し分けて、大きな鯉がのつそりと出て来た。
真黒な半身をのつそりと覗かせてゐる
そのしかめつ面。人を恐れないその眼の光。
水草の蔭に、幾年と棲みながらへて、絶えず身悶えして池を泳ぎまはり
絶えず限られた池を呪つて来た老魚の生活の倦怠と憂鬱。それは新鮮な生命に
ぴちぴちしてゐた私の小さな心をグロテスクな味に満たした〈泣菫〉
夏の匂ひのする
夏の光りのある
夏の形体をもつてゐる魚――といつたら―
夏ほど魚が魚らしくしてゐる時はない。
暑い夏は魚になつて暮らしたいほどである。
王者は鮎である。形から匂ひから味覚から川の女王と謂はれてゐる。
香魚といふだけあつて鮎は川の中から匂ふ
その雨のやうな、蓼のやうな、うすい樹の蜜のやうな匂ひ
夏ほど魚を愛す時はない。〈惣之助〉
澄んだ渓水の中を落葉に絡まりながら下流へ下流へと
落ちていく魚がある。木の葉山女魚だ。
姿を見ると、しみじみと秋のさびしさが身に沁みる。
深い淵の渦巻くところに、上流からくる餌を待って群れている。
釣糸の白羽の目印がツイと横に揺れる。胴に波を打たせながら
ひらひらと鈎先にかかってくる。可憐な姿で。塩焼きもいい〈垢石〉
ほぼ年中雪を頂く南アルプス山系。西に中央アルプス。その間を、天竜河が
うねりくねって流れている。私は午後いつもその支流に山女魚 釣りに出かける
山女魚は、全く意想外の処に住んでいて、みな急流である。
或る日、六寸位の山女魚が、上流を向いて、じっとしているのを見付けた。
「駄目だよ。釣針が出てるじゃないか」皮肉な奴だ。私の顔をじっと見上げる。
「よし、それじゃ智慧較べだ」私は餌を取り替え、釣針の先きを隠した。
蚯蚓が、溌剌としてピリピリ尻尾を振っている。奴も食わんわけには行くまい
「可笑しいな⋯、どうしたんだ」蚯蚓は針の処だけ残して食い去られている
私は、いっそ竿で突いてやろうか、とも、考えた。
が、そもそも、魚釣りと云うものは詐欺なのだ。憤るのは筋違い。
近来、魚の教育は進歩していると考えられる傾向がある。
どうも、私などよりも遙かに知性の発達した魚がいるように思われる。〈嘉樹〉
【山女魚は】
敏捷で人に怯びえる習性を持っている。
餌に向かっては猛然と突進してくるが、その餌を口にして鈎のような詭計な仕かけがあるのを知れば、直ちに口から吐き出して逃げる早さは疾風に似て眼にも止まらない。
(晩秋至って)
水冷えれば奥山から下って中流に赴く。これを木の葉山女魚と言い。
(春きたれば)
深渓に冷水を求めて帰る。これを雪代山女魚と言う。
【岩魚は】
山女魚によく似ているが、
山女魚に比べるとつら構えが獰猛である。そして気性が激しい。
水を求めにくる蛇をも襲わんとし、熊蜂をもひと呑みにする。〈垢石〉
男は岩の凹みの上で、剥いだ生樹の皮をびしゃびしゃと潰ぶしていた。彼は谷川の淵に毒流しをして魚を捕るために、朝早くから登って来て材料を作っているところであった。ふと見ると、白い法衣を着た僧が傍へ来て立っていた。「それは殺生じゃ。釣る魚なら餌のために心迷いのしたものじゃから、まあまあ好い。だが毒流しは、罪咎のないものまで、いっしょに根だやしにすることになるから好くない」 男は持ってきた握り飯を出すと、僧にも分けた。二人は仲良く一緒に昼飯を食べた。
*
いちばん大きな淵に出くわした時にはもう陽が傾いていた。
男はまた皮粕を入れた。木の枝を持って水の中を掻きまわした。
青暗く沈んでいた淵の水が急に動きだしたかと思うと大きな魚の背が見えて
人間ほどもある鬼魅悪い大岩魚が腹をかえして音もなく浮んだ。
「あの坊主の云う通りやめておったら、こんな魚が拝めるけい」と、得意そうに
その夜、男がその大魚の腹に庖丁を入れると、…そこから
今日、怪しい僧に別けてやった、あの昼飯が出てきた。〈貢太郎〉
太古から枯れない泥沼の底の主、山椒魚
夕暮、曉に、淡くほの白い小さな水藻の花
夫『水清よければ魚棲まず、駄目だよ』
妻『そのかはり、月影が澄む』
一日一日と歩くなら、お互ひに氣もちよくだ。
だから伴侶といふ言葉には味がある。
でも煮ても燒いても食べられるものぢやない〈時雨〉
片足をふみ外した陥穽から、わたしはそつくり月の裏側をみた。
ニツケル製の湖水が光つてみえる
湖上を、鳶いろの大鯰が二間のしぶきをあげて、遊弋する。
湖をかたむけた波が、水銀色に零ぼれて氷りはじめると、
湖畔の生活は暮れて、湖をあとに燕のやうにわたしは転生したのである。
ききき 聴けよ
にににに 二三匹して鳴く
かかかか 閑夜の蟋蟀を
ややや 山羊の唄ふパストラルを
よよよよよ よろしい
魚を咥えて猫が、田園のなかを よぎる。〈保〉
どんな下手が釣っても、すぐにかかる魚は河豚である。
やたらに河豚がかかるのであきれたものである。
河豚は食い意地が張っているので糸をたらすとすぐに食いつく。
しかし、ほんとうにおいしい河豚は、
海底深くで貝をエサにしている底河豚だ。
この底河豚を釣るのは簡単ではない。名人芸の一つにされている。
釣りあげられた河豚は腹を立てて、まん丸く、ボールのようにふくらんだ。
いつまで経ってもふくれあがったままで怒っている。
河豚は生きているのよりも、死んで二日経ってからの方がおいしい。〈葦平〉
イイダコはあまり深くない砂地のところにいる
エサはなにもいらない。なんでもかまわない。白色のものさえあればよい。
ネギの白味、茶碗の欠片かけら、白墨など。
沈めておくと、タコはその白いものに向かって近づいて来る。
食べに来るわけではなく、
どういう考えか知らないが、白いものの上に坐るのである。
そこで、サーッと引くと、タコはカギに引っかかってあがって来るのである。
引きあげられたイイダコは怒って、黒い汁を吐く。
そして、八本足で立って歩きながら逃げようとする〈葦平〉
微かに残っている漁村の匂い。
伊豆のI温泉。
南国の冬の海に陽光が燦々と降っている。
ここでは、いくらでも新鮮な珍しい魚が手に入る。
沢山の雑魚も並んでいる。
一杯に並べられていたその色彩の美しさに驚きの眼を見張った
・・・・・・・・・・・・
海といっても
魚の棲息する所は、海面に近い所か、海の底と、決っているように聞いていた。
だが
実際、金属球で沈んで行くと、
各層で色々不思議な魚に遭う。
千メートルの海底といえば、水圧は百気圧を越えているはずで、
しかも日光もほとんど届かぬ永遠の闇の世界である。
そのような所にある怪物の世界の姿を想像してみて欲しい。
想像を絶した奇怪な姿のものが蠢めいているのだ。〈宇吉郎〉
海にもぐつて
心臓の音をきいてゐる
盲目の深海魚がアハハと笑う
ゴミ箱を漁つてゐる犬が
君を殺した
――魚の腸をくはへ出したぞ。と〈久作〉
海に坐つて僕は食ふ
海の世間に向つては 口を大きく見せるんだ
海を引き裂く船舶類
非文化的な文明が 現実すぎるほど群れてゐる
むんむんしてる地球にばかりすがつて〈貘〉
春の海はひねもす のたりのたり
夏の海は輝き渡る。つよい太陽の光をはねかえし海も光るが、
沖にもくもくと盛り上った入道雲も輝く、空も輝く、海に遊ぶ人も輝く。
秋の海は、夫を失った夫人のたたずまい
冬の海は、頑なに黙っている。かと思うと、時たま心底怒りを発して怒号する。
高波のしぶきは、瞬間の幻のように岩にくだけ、光を噛んでそそりたつ。
春秋の海底には、かぞえ切れない魚類の世界がある。
潮の流れにのって移動する魚群
波をけって海上に飛翔する魚たち
深いところに住む魚たち、浅いところに住む魚たち。
泳いで生きる魚たちばかりではなく、
海底の砂にも、岩にも、生きものはそれぞれの場所を占めて居をかまえている。
あわびは、ぴたりと岩にすいついている
この執念ぶかい執着をも、はがす奴がいる。
たとえば、タコである。
坊主あたまを斜めに泳がせてあわびに近寄る。
その足で、あわびの穴窓をすべてふさいでしまう。
あわびは、息ぐるしくなって、そっと体を岩から離さねばならぬ。
早速坊主はあわびをさらっていって、御馳走になる。
タコの住まいのまわりは、おびただしい貝がらの城壁でかこまれている。
貝がらの城壁の中に、いい気持ちで眠っている生ぐさ坊主
それを知る大きな魚が、突然これをおそって食らう
強いものと、弱いものの戦いは、終ることなくつづけられている
暗い暗い光のとどかぬ深海には、
体から光を発して、ゆうれいのようによぎる魚
頭の先にランプをつけたその奇怪な魚が
ランプの光をかざして獲物をあさり歩いている。
水中から砂地に這い上がって卵を産みにくるのは亀だ。
カニは、つめをふりたてて、砂地を横ばいしながらエモノを狙う。
月夜に目玉をつき出し探していると、エモノの方が先に逃げてゆく
人はぼやく、月夜のカニは痩せてて不味いと。
岩上には色さまざまな藻類が波のまにまにゆれている。
生きているものは美しい。
イカは決して白くはない。白いのは腐りかけているイカの死がいだ。
イカは透きとおっている。
燐光のような光を帯びて、レースのハンカチで口元をおさえている貴婦人のようにイカはしなやかに泳いでいる
鯛は体に光る宝玉をちりばめて堂々と突き進む。
海中の世界は、光輝ある物語のように美しい。
海の青、空の青にも、染まず漂う、と、白き鳥の心をうたった歌人があったが
空と海では同じ青でもちがうのである。〈魯山人〉
※ ※ ※
(註)
◆本作は、『詩の博物館』『〃植物園』『〃動物園』に続き、四つめの特殊なコラージュ作品です。著作権の切れた詩人の詩文を使って編集・加工・構成されています。
◆ このシリーズの前三作品は、みな、五行詩にまとめ配列=陳列してご覧に入れましたが、今回は、試みに、散文詩・あるいは詩的散文にしてみました。(原典に詩人以外の随筆も混ざっています)
◆原典の(作者名)が注記されていますが、原文そのままではなく、私が取捨したり加筆したりしてかなりアレンジした部分がありますので、その点ご注意ください。(この作品企画の趣旨に従い、ほぼ元の原文を生かしていますが)
◆ 原文と私の創作部分とか区分できるように、という意味で、出典の〈詩人名〉を明記しました。
しかし〈氏名〉だと原文そのままだろうと錯覚される恐れがあるので、敢えて〈名〉のみとしました。(ネット時代なので検索すればすぐに原典が判る筈です。参照した原文はすべてネット公開されているものです。)尚、 〈左京〉とあるのは、 名字は小松でなく、神田です。
◆本シリーズの趣旨は、古典の面白さや良さを、温故知新の心で、わたしなりに愉しく紹介することなので、(すべて著作権が切れた作者の詩や文ですが)故人に失礼のないように敬意をはらって元の表現内容から大きく外れないように、また作風などが偲ばれるように留意・尊重して丁寧にアレンジしてあります。
◆ 四部作としてこれで一応完結する予定です。他に『詩論の庭園』も創るかは未定です。