どうせ迷うなら命を賭けて
ホロウ・シカエルボク


地面に落ちたふたつの実はもうどうすることも出来ないほど腐り果てていて、ああこのまま土に還るのだと…少し悲しい気持ちになりもしたけれど、でもそれは無駄なことではないのだと気付いてはっとした、それを食べるか食べないかなんて尺度で測るのはわたしたちくらいであって、かれらにしてみてばそんなことはどうでもいいのだ、土に還り、養分となって、また種を育て、命を継いでいく、それが彼らの目的なのだから―わたしはかれらに別れを告げていびつな森の奥へと歩みを進めた、遊歩道を逸れてからもう三十分は経っていた、まだ十六時くらいのはずだけれど、間もなく日が暮れるのではないだろうかというくらいに薄暗かった、足元は悪く、普通のスニーカーでも苦労した、土が浅く根が横に広がっているせいで油断しているとすぐ足を取られてしまう、といって足元ばかり気にしていると横に張り出した枝に顔をはたかれる…なるほど、噂通り、そういえば、こういうところにも実の生る木があるのかな、とふと思った、あれはもしかしたら誰かの最期の食事だったのかもしれない、そんな考えが浮かんだけれど別にそれで震え上がるということはなかった、そんなことで怖がっていたらここで引き返すほうが賢いだろう、といって、もう引き返せないところまで来ているのかもしれないけれど―実家に置きっぱなしになっていた母さんの車で人気の無い入口を選んで入ってきたからまず見られては居ない、車も少し離れたところに止めてあるから簡単に見つかることはないだろう…いや、勘違いしないで欲しい、わたしはここに死にに来たのではない、ここで生きることは出来るのだろうかという実験をしに来たのだ、まあ、多少厭世的な気持ちがあることは否定しないけれど…結果、無駄死にになるのならそれでもいいという気持ちがあるのも確かだ、でもそれは目的ではない、わたしはいろいろな限界を超えてみたくなったのだ、沢山の人が終わる為に訪れるこの場所で果たして、始まることは出来るのかという実験を身を挺して行ってみたい、それがわたしがここに来た理由だ、周囲の木は特徴的な形をしていて、相変わらず足元はでこぼこでままならず、訪れる人間を試すような荘厳とも言える風景が続いていた、でも何故だろう、わたしはそれを怖ろしいとは思わなかった、どちらかと言えばそれは息を飲むほどに美しかった、こんなところに死ぬためにやって来るなんてただの冒涜ではないのか、わたしは足を踏み入れて間もなくそう感じ続けていた、それは違和感といってよかった、あらゆる噂や現実と照らし合わせてもとても美しい森だった、わたしがお金とか権力を持っていたら、無理を通してこの森の真ん中に家を建てるだろう、本当に、ただの美しい景色だった、ある程度奥まったところで住処を決めなければならない、とりあえず今夜落ち着く場所を暗くなる前に見つけなければならなかった、いや…そんなのどこでもいいのではないだろうか?いまのところここには誰も居ない、ちょっとした窪みにでも座れば、夜になればそこに居ると認識されることもないだろう、そう思うと焦る気持ちは無くなった、そうだ、こうやって、焦ってしまう気持ちを捨てて行けばいい、わたしはわたしとして生きる道を見つけるためにここに来たのだ、どうでもいいようなことにこだわって時間を無駄に費やしてしまうようなことはもう終わりにしなければならない、と、考えているうちに木々のほんの少し向こうを車が走って行く音が聞こえた、随分深く入ってきたと思っていたけれど、道路の脇を平行に移動していたということか―それならば―わたしは車の音が聞こえた方を背にして、全速力で一直線に前方へと走り出した、もちろん何度も転んで、動けないほど腰とか脚をそこらに打ち付けたりしたけれど、ずっと繰り返していると次第にコツを掴んだ、いや、なにか、それまで動いたこともないアンテナが急に動き始めた感じで、はっきり見えなくても周囲にあるものをなんとなく把握することが出来た、これじゃまるでコウモリじゃないか、楽しくて思わず奇声を発してしまいそうになったけれど、流石にそれはマズいだろう、周囲に誰も見えないから誰も居ないということにはならない、このあたりは静かだから、近隣の(そんなものを見た記憶はなかったけれど)街の誰かに聞かれて通報されたりする恐れもある、だからそこだけは自由になり過ぎないように注意した、そんなことをしているうちに夜が来た、あたりはいわゆる漆黒の闇で、すぐそこによからぬものが潜んでいるかもしれなかった、でもわたしはなにも怖くなかった、虫だってお化けだって受け入れてあげる、生まれてこのかた経験したことが無いくらい気分が高揚していた、わたしは生きるためにここに来た、睡魔が来るまで歩き回って、寝心地の良さそうな窪みを見つけてすっぽりと収まるような格好で眠った、今まであまり寝つきが悪い方じゃなかったけれど、朝までぐっすりと眠った、目が覚めるとボロボロの野良犬がわたしを見下ろしていた、おはよう、と声をかけるとふいと何処かへ行ってしまった、鬱蒼とした木々の間を抜けて、それでも太陽は懸命にこの森にも朝を告げていた、わたしは立ち上がり、大きく伸びをした、今日はどこかで顔を洗えるかどうか探すところから始めよう。



自由詩 どうせ迷うなら命を賭けて Copyright ホロウ・シカエルボク 2025-08-16 22:26:18
notebook Home