詩の動物園
ハァモニィベル

     ――― これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか〈光太郎〉



すてられた魂のうへに やさしげな嘆息をもらすのは
野をひそひそと歩んでゆく ツノを持たない羊の群れ
むくむくと 太古を夢見てる犬よ、
お前の後足のほとりには、いつも
ミモザの花のにほひが漂うてゐる。〈拓次〉



秧鶏クヒナのゆく道の上に 匂ひのいい朝風は要らない
霧がためらつてゐる白つぽい湖辺で 
ちぐはぐな相槌で聞く 強ひるやうに哀れげな昔語りは 
日日静かに流れ去り 微睡まどろむ伝記作者を残して、 
来るときのやうに去るだらう。〈静雄〉



日光はいやに透明に 
俺の行く田舎道のうへにふる
俺にはてんで見覚えの無いのはなぜだらう
それで遊んだことのない 俺の玩具の単調な音がする
名のない体験の鳴り止やまぬのはなぜだらう 〈静雄〉



ここからは人喰虎が出るゆえに、旅人は昼でなければ通れない。
果して一匹の猛虎が、くさむらの中から躍り出た。
一年前、一睡してから、ふと眼覚めると、我が身は虎となっていた。
嗤つてくれ。岩窟の中に横たわつて見る我が夢を。
詩人に成りそこなって虎になった哀れな男のこの姿を 〈敦〉



ああ このおほきな都会の夜に眠れるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る 夢を夢みる猫のかげだ
やさしい言葉であなたの死骸に話しかける
月のはづかしい面影だ 〈朔太郎〉



見もしらぬ犬が私のあとをついてくる
どこへ行くのか知らないわたしの ゆく方角に、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと浮んでゐる。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠える
細長い尻尾の先が地べたの上を引きずつたまま〈朔太郎〉



わたしは雪のなかにひざまづいて
その銀の手をなめてゐる
太陽は神々の蜜である
凝視みつむる指先に⋯愛の重み
さみしさに さみしさに 銀の魚は釣針をのむ 〈暮鳥〉



大きな白い鳥が 鋭くかなしく啼きながら
しめつた朝の 光のなかを飛んでゐる
それはわたしの妹だ 死んだわたしの妹だ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
あんなにかなしく啼きながら 朝の光を飛んでゐる〈賢治〉



何となく汽車に乗りたく思ひし日
汽車を下りしに 
ゆくところなし
草にて 思ふ事なし わがぬか
糞して鳥は空に遊べり  〈啄木〉



汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘かはごろも
汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる……〈中也〉



はしやぐ少女と嘲笑ふヤンキイは
     いやだ いやだ!
ぽけっとに手を突込んで 路次を抜け
明るい地平線をふ…… 音をたてると
狸婆々たぬきばばがうたふ。音をたてると心が揺れる〈中也〉



東京はタイクツな町だ 
レンガもアスファルトも 笑わずに 四角い顔で
男も女も 笑わずに とがった神経かお
高いカカトで 自分のほかは考えず
よこたわり 歩いて行く 〈浩三〉



原始林の幾日幾夜の旅の間、探険者わたくしは、ただ
頭上に生ひ伏した闊葉カツヨウの思ひつめた吐息を聴いた。
あしうらに踏む湿潤な苔類のひたむきな情慾も感じた。
原始林は無言の大饗宴。強靱な植物らの絶え間ない発汗のなかで、初日から
獣類の眠りのやうな漆黒の忘却を得た私の存在は弾力に満ちていた〈太郎〉



私はその部屋の中で蛇を見た。鷲と猿と鳩とを見た。
それから動物分布図に載つてゐる両生類と爬蟲類と鳥類と哺乳類を見た。
みんな剥製されてゐた。去勢された悪意に、鈍く輝く硝子の眼球。
過ぎ去つた動物らの霊が、過ぎ去つた私の霊をいていた。
が、すべては遅かつた。私は未来を恐怖した。〈太郎〉



「ぼくは時計は要らないよ」象がわらって返事した
大きな時計をオツベルは象の首にぶらさげた
象も云う「なかなかいいね」
眼を細くしてよろこんで、象は川から水を汲んで来た
象が笑わなくなった時 象はオツベルに噴火した 〈賢治〉



なめとこ山の熊のことならおもしろい。
熊捕り名人・小十郎が片っぱしから捕ったのだ。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」
が、なめとこ山の熊はこの名人が好きなのだ。だから言った
「小十郎。嗚呼おまえを殺すつもりはなかった」と。〈賢治〉



秧鶏クヒナのゆく道の上に 匂ひのいい朝風は要らない
霧がためらつてゐる白つぽい湖辺で 
ちぐはぐな相槌で聞く 強ひるやうに哀れげな昔語りは 
日日静かに流れ去り 微睡まどろむ伝記作者を残して 
来るときのやうに去るだらう〈静雄〉


日光はいやに透明に 
俺の行く田舎道のうへにふる
俺にはてんで見覚えの無いのはなぜだらう
それで遊んだことのない 俺の玩具の単調な音がする
名のない体験の鳴り止やまぬのはなぜだらう 〈静雄〉









※ ※ ※
◆本作は『詩の博物館』「詩の植物園』に続く作品です。
◆注記は前二作と同じですので、そちらの注をご参照下さい。



自由詩 詩の動物園 Copyright ハァモニィベル 2025-08-14 07:03:39
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