布団の上で追想
花野誉
盆前の最終勤務日の今朝、ぎっくり腰になった。
時折、酷い腰痛に悩まされるが、ここまで酷く、まともに起き上がれないのは久しぶり。結局、仕事は休ませてもらった。
腰がここまで悪くなったのは、あの仕事が原因だと思っている。
私の大反対をもろともせず、夫が始めた仕事の為、私は愛してやまない職場を退職した。
院長以外、10人くらいの女性ばかりの職場で、あけすけに何でも言い合う、女子高みたいな(女子高は行ったことはないが)職場が、とても好きだった。
そういうことで、夫の仕事には、渋々付き合ってあげる、という心のスタンスがあった。
仕事が進むにつれ、そんな上からな気持ちでは仕事ができなくなってきた。
船と海に関する仕事で、私のやることと言えば、酷い船酔いの為、船に乗ることはできないので、早朝と夕方に、夫を家から送迎(往復1時間✕2)すること、お客様対応、経理や予約の管理、船が帰ってきたら清掃、その他色々諸々。
なんだそんな簡単な仕事か、と思われそうな内容。
私も最初は、朝がやたら早いのが辛いだけか、と鼻をくくっているところがあった。
あの事件が発生する前までは。
ある日、夫とお客様を送り出し、自宅に戻って用事をしていたら、「和歌山まで来てくれ!」と夫から連絡があった。
恐る恐る「どうしたの?」と聞くと、エンジンが止まり、海上で船が動けなくなったとのこと。
背筋が寒くなった。
しかし、御先祖様の御加護か、我々はツイていて、たまたま通りがかった同じマリーナの船に牽引してもらい、和歌山の港に緊急避難し、そして、たまたま乗り合わせた夫の息子と夫の友人が、和歌山でハイエースをレンタルして、他のお客様を連れて帰ってくれた。
私は和歌山なぞ、一人で運転して行ったことがなく、正直、勘弁してと思ったけれど、カーナビという強い味方のおかげで何とか和歌山に辿り着くことができた。
そこから船の修理が始まった。
なんと半年も掛かった。
ようやくお客様もつき、仕事が軌道に乗ってきた矢先に。
船の修理が、これほど大変とは思いもよらなかった。
まず、船のエンジン。うちのはコマツエンジンで新しい物がない。
和歌山のエンジニアさんによれば、新しいヤンマーのエンジンにすると1,000万は掛かるが、後々を考えるとそうした方がいいと言われた。
今思えば、そうしておけばよかった。
少し顔見知りだったエンジニアさんが、己のネットワークで部品を集めてなんとかできる、1,000万は掛からない、と言うので夫はその方法を選んだ。
そのエンジニアさんの仕事は、非常に遅かった。
その間に、他の仕事をしないかと紹介もされた。
何でも、「資産家のAさんが岡山の島の一部を買い取り、そこにグランピングやコテージ、カフェやキャンプ場などを作ろうとしている。お客様のために釣り船もしたいので船長を探しているから、一度会ってみないか」と。
その後、その資産家Aさんと引き合わせられたのだが、世の中には、得体の知れないお金持ちがいるのだな、ということを初めて目の当たりにした。
都市伝説って、本当にあるのかもしれないな、と思った。
この話をすると長くなるので、それはまた機会があれば。
船の修理は、これこれはいくら、と規定されていないのか、依頼するエンジニアさんによって値段が恐ろしく違う。
ネジ一個替えただけでウン万円、ウン十万円するのだ。
そして、こういう船を修理するエンジニアさんはあまりいないので、言い値でしてもらうしかなくなる。
我々はこの業界での仕事経験が浅い為に選択を失敗した。
依頼したエンジニアさんは業界では高いところだったのだ。
半年後、仕事を再開し、また何とか頑張って軌道に乗せたが、エンジンを中途半端に修理したせいで、その後のメンテナンスにかなり神経をすり減らすことになった。夫が。
なので、お客様がいないところでは、サラリーマン時代より笑わなくなり、眉間の皺が増えた。
私にキツく当たるようになった。
私は基本的に人と喧嘩をしたくない、穏便に済ましたい精神で生きてきたのに、とうとう喧嘩をするようにもなった。
「私は人間サンドバッグじゃない!あなたの下僕ではない!」と何度言い返したことか。
それでも、台風が発生したら喧嘩などしていられない。
船をどこに避難させるか、早く決めて行動しなければならない。
公共のドックは盗難が多いので、有料の安全なマリーナを確保しなければならない。
近くのマリーナが無ければ遠くまで避難させにいく必要がある。
日々の天候もそう。
雨は全然大丈夫。風が問題。
風速7、8メートルあれば、大体、出船中止になる。
出船していても、途中で風が出てくることもある。それは予測していても、思ったより吹くこともある。
とにかく、この仕事は天候に振り回された。自分達ではどうしようもない事象。
なので、この仕事に就いてからは、余計に信心深くなった。
早朝、船を送り出した帰りに、大きな神社に詣るのが日課になった。
御賽銭はかなりの額になったと思う(笑)
でも、この仕事に就いたことで、出逢うはずのなかった人達と出逢えたり、数え切れない沢山の人達に助けられた。
見返りなく助けてくださる方がとても多く、人に生かされているということを強く実感した仕事だった。
でも、もう二度とやりたくない。
夏冬の船の清掃のキツさ。
船を引っ張ったり重いものを運びたおし、肩も腰も壊し、妙な病気にもなる(夫婦共に)。
悪天候からの不安。
夫に振り回される色々。
海の事情で変わる客の増減。
借金がかさみまくる。
そして一番は、人命を預かる重荷が常に付き纏うこと。
今は屋根の下、地面のあるところで働けることが、とにかく有難い。
天候に脅かされる仕事をされる方々には申し訳ないが、今はその心配を強くしなくていい、この心の楽さ。
夫やお客様の死亡確率が高いような、危険な仕事から離れられたことが、本当に嬉しい。
まだ心配事は色々あるが、夫が安心し、よく笑うようになったことも、本当に嬉しい。
動けず布団の上、今の暮らしへの感謝を噛み締めている。