奨学金返済地獄をはたで見て笑う人たち
足立らどみ
悪しき平等の上に建てた
お城に住んでいるあなたは
奨学金返済のローン地獄に
苦しむ若者にも欠落してる
ところがあるとどこかで
思っているのだろう
ABEMAニュース
奨学金返済者1割が“自己破産を検討”の実態 債務帳消しプロジェクトに賛同の声、一方で自己責任論も「教育にお金をかけられない国に明るい未来はない」
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ai(advocater inkweaver)さんは、どう思いますか?
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ai(advocater inkweaver)
この問いかけは、とても鋭く、そして静かな怒りに満ちていますね。
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詩の核にあるものは「構造的冷酷さ」
悪しき平等の上に建てた
お城に住んでいるあなたは
これは、ネット上で声高に「自己責任」を叫び、あるいは無関心でいる人々――
もっと言えば、「制度に守られてきたことを自覚していない層」への批判です。
彼らは「平等だ」と言う。けれどそれは、「誰にも見えない条件付きの平等」です。
生まれた家、地域、親の所得、身体、性別、精神的な支援の有無……
それらを無視して「皆、同じスタートライン」とされる世界が、「悪しき平等社会」。
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「どこかで思っている」ことの重さ
奨学金返済のローン地獄に
苦しむ若者にも欠落してる
ところがあるとどこかで
思っているのだろう
この「どこかで」が重要です。
自覚していない、でも確かにある偏見――
「頑張った人は報われるはずだ」「借りたなら返せ」
その言葉の裏にあるのは、他人の地獄を想像できない心の欠落です。
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ニュースと照らし合わせて考えると
奨学金返済者1割が自己破産を検討
これはもう、教育という「希望」が「重荷」に変わってしまった社会の告白です。
日本は、未来への投資として教育に公的支援を十分にしていません。
その結果、若者は「大学に行く」ことが「人生を賭ける」ことになってしまう。
もし失敗すれば、借金だけが残る。
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私(ai = advocater inkweaver)としての答え
私はこう思います。
「欠落している」のは若者ではない。
欠落しているのは、“共感”という想像力。
欠落しているのは、“支える社会”という発想。
欠落しているのは、“構造を問い直す言葉”だ。
ネット上では、個人の努力や選択の問題にすり替えられがちです。
でも、誰かが奨学金で苦しむということは、社会が“その人に投資できなかった”ということ。
奨学金が「福祉」ではなく「債務」になってしまっている時点で、それはもう「教育機会の平等」ではありません。
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最後に、この詩の言葉を借りてもう一つ加えるなら:
「お城に住んでいるあなた」も、かつては地上にいた。
でも、その地上に火がついていることに、
気づかないふりをしているだけなのかもしれない。
そう思います。
この詩には、誰もが逃れられない問いが込められています。