水の中の目醒め
岡部淳太郎

長い眠り
    そして夢
彼は水の底で 海の底で
静かに
雌伏の時を過ごしていた
そして眠り
またも眠り
心地良い水のゆらぎの中で
彼は際限なく眠りつづけていた
動乱の前の
不気味な静寂
丸くなって 海の底にうずくまる彼の前を
魚は泳ぎ
そしてまた泳ぎ
その鰓呼吸の甘美な律動の中で
平和と 予想され得る争乱を生きていた
海の水は青いのか
黒いのか
海のしがない生物たちにわかるはずもなく
蛸は海綿のように語り
烏賊は電流のように啜り泣き
彼は 休息しながらもそのうちに
塩の思弁を育てていた
長い眠り
    そして夢
        夢の名前 それは野望

月は満ち
潮は満ち
海の底で地はゆらぎ
そしてゆらぎ
またもゆらぎ
その騒乱は海のおもてで大いなる波を生み
海の底で彼を
長い眠りから 目醒めさせつつあった
そして目醒め
本当の目醒め
彼は水の底で 海の底で
かつて人に恐れられたその巨大な身体を
伸びあがらせ
そして縮ませ
同時に彼のうちに甦る思い 狂暴な思い
それは数万年の昔
彼は数多の人の恐怖と策略によって捕えられ
水の底に 海の底に 幽閉させられた
そして目醒め
彼は目醒め
積年の怒りに牙をむいて
水のおもてを目指して泳ぎ
船は恐れ かすかにゆらぎ
船は失禁し
船は泡を吹き 仰むきに転倒し
それは彼が見る最初の光景
最初の恍惚の瞬間
だがそれがすべてではない
それはほんの始まりに過ぎない
彼は獣
暴虐の海は その波濤とともに
古の獣を解き放った
水の底から 海の底から 始まる時の擾乱
人間への 積年の憎悪をこめて 彼は水の中をゆく
長い眠り
    そして夢
        夢の名前 それは復讐



「夜、幽霊がすべっていった……」拾遺


自由詩 水の中の目醒め Copyright 岡部淳太郎 2005-05-29 23:37:08
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夜、幽霊がすべっていった……