春紅葉(おまんとくれは、その弐)
佐々宝砂

乱れた裾をからげて、
少女は細い山道を下る。
淡く青い春の匂いが満ちている。
その春の匂いに、
突然あまく重苦しい香が入りまじり、

 こむすめ。
 こっちに来い。

声の主はと探せば、
白面に唇をどぎつく赤く塗った、
都風の女である。
その隣に恐ろしく大きな女がいる。
少女の父親より一尺は上背がある。
噂に聞く鬼だ、と思った。
少女もその名は知っている。

鬼のくれは。
鬼のおまん。

気弱なたちではなかったが、
少女の身体はもう動かなかった。
頭の芯がくらりと酔った。

 こむすめ。
 こっちに来いと言うのだ。

都風の女は大女に顎で合図した。
大女は軽く頷き、
左腕だけで軽々と少女を抱き上げると、
ひょいと左の肩に乗せ、
ついで右腕だけで都風の女を抱き上げて、
ひょいと右の肩に乗せた。

 駆けますぞ。

大女が右肩の女に言うが早いか、
びゅい、
と景色がうしろに飛ぶ。
風圧が少女の唇を歪める。

少女の身体はやはり動かなかったが、
恐ろしいとは思えない。
心の芯まで痺れている。

風がやんだ、と思ったら、
飛びすぎていた景色も流れやみ、
大女は少女たちを下に降ろした。
荒れた土しか知らぬ少女の足が、
柔らかな緋毛氈を踏んで驚愕した。

見ればあたりは満開の桜林、
緋毛氈の上には女ばかりが集い、
華やかな宴の席である。
しかし宴の中央にあるものは、
桜ではなかった。
楓の古木であった。
楓の若葉は赤く萌えていた。

 春の紅葉もよいものよ。

笑いながら指差す楓の根元に、
胸を朱に染めた男の屍。
少女はその男を知っていた。
知っていて、嬉しく思った。
少女の裾の血は乾き始めていたが、
少女の心はまだ血を流していた。

あたしも鬼だと少女は思った。




初出 雑誌「詩学」2003・4月 全4作予定
その壱「おまん瞑目」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=39002
その弐「春紅葉」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=39020
その参「おまん瞠目」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=39022

参考文献:鬼無里村史・戸隠伝説他
この連作を書くにあたって「鬼無里村史」の写しを提供して下さった渦巻二三五さんに感謝します。



自由詩 春紅葉(おまんとくれは、その弐) Copyright 佐々宝砂 2005-05-29 21:57:06
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