水中に居ると何かを思い出せそうな気がする
ホロウ・シカエルボク


お前の臓腑の中で冷たく湿った夢に溺れたい、外気温はウンザリするような数値を示しているだろう、でも俺はそれを確認したくない、もしも俺が銃であれば二度と目にすることも出来ぬくらい綺麗に破壊するだろう、でも俺は無駄な機能の多い人間だったし、弾丸の持ち合わせも無かった、だから水を張ったバスタブの中で愚痴を並べるくらいが関の山だったのだ、水はすでに生温くなっていた、それは俺が欲した温度ではなかった、でも水温を望みのままに保つには現実問題として不可能だったし、こんな温度になっても何もしないで部屋に座っているよりはずっとマシだった、だから俺は多分もう一時間以上はそうしていた、時刻は多分正午を少し過ぎた辺りのはずだった、もうしばらく、例えば太陽が落ちて夜が穏やかな風を運んできてくれるまでここでこうしているのも悪くない、ユニットバスなのでトイレだって目と鼻の先にある、時計も携帯も部屋のテーブルに置き去りだ、でも重要な連絡がやって来る心当たりはまるで無かったし、近頃じゃ取る必要の無い電話ばかりで、だから放っておいてもなんら問題は無かった、夜になって確認してからでも充分間に合うくらいの話しか俺のところにはやって来ないのだ、俺は大きく息を吸って、バスタブの海に沈んだ、耳に水が流れ込むような音がして、すぐに息苦しくなる、バスタブは肌色をしているのに、水中で見つめる景色が必ず青いのは何故だろう?いくら考えても答えは出そうになかったし、誰かに聞いたところで教えてもらえるような議題でも無かった、自分の口から洩れる泡の音以外はどんな音も存在しない水の中に居ると、いつも遠い記憶を思い出すような気がしてそこに居ることにこだわってしまう、でもそれには限界がある、どんなに頑張ってもそれを思い出すまで潜っていることは出来ない、水面に出て息をしなければならないのだ、もしかしたら思い出すべきものなどそこにはなにもなくて、存在し得ない場所に意味を求めているだけなのかもしれない、存在したことが無い場所への憧れのようなものなのかもしれない、逃避系のロックソングが皆、呪文のように口にするここではないどこか、これもそんなものの一種なのかもしれない、息が続かなかった自分への怒りなのか、それとも俺という存在を軽く突っぱねて見せた水中という場所への怒りなのか、俺はそれ以上バスタブに浸かっている気にはならなくなった、思い切り栓を引っこ抜くと水は渦を巻きながら吸い込まれていった、気に入らないから排除する、これじゃまるでどこかの独裁者だ、首を横に振りながら浴室を出る、それでも確かに身体は少し落ち着きを取り戻した、窓を少しだけ開ける、夕刻の数時間だけ部屋に吹き込む風がある、それが吹けばもう汗をかかなくて済むのだ、オープンイヤホンで古いロックを聴く、古いロックなんていう表現が正しいのかどうかわからない、俺にしてみればそれは少しも古くないからだ、でも人に話すときは、こんな風に話すのがニュアンスとして一番伝わりやすい、要するに、やたらと弾きまくらない、それぞれの楽器がどうやってなればいいのかちゃんとわかっている、ボーカリストは歌うという技術以外のものをいかにそこに残すのかということに賭けている、そういうロックだ、流行り廃りはもちろんあるだろう、俺には新しい音楽は理解出来ないかもしれない、だけど、本当に大切なことは時代遅れになったりすることはない、俺が好きなのはいつだってきちんとしたアンサンブルだ、クラシックでも、モダンでもね、浴室で悲鳴が聞こえる、聞こえるような気がする、イヤホンを外し、浴室を覗き込む、誰も居ない、何も起こっていない、当り前だ、この部屋には俺しか居ない、俺は悲鳴など上げていない、イヤホンをしていると距離感が少しおかしくなる、街路を行く節度の足りない女がはしゃいでいる声を浴室で聞こえたと勘違いしたのかもしれない、現実にせよ勘違いにせよそれを証明する方法など無い、ならばそれについてはもうそれ以上考えることはない、俺は哲学書を書こうとしているわけではないのだ、部屋に戻る、部屋に吹き込む風はいつもより強い、イヤホンをもう一度耳にかける、少しぼーっとする、こんな日が遥か遠い昔にもあった気がする、なにも無いからこそ脳裏に深く刻まれてしまう光景、もしかしたら数日前にもあったかもしれない、来週にもきっとあるだろうし、数か月後にもそれは訪れるだろう、俺は何を求めているのか?本当は何も求めていないのかもしれない、ただ完璧なサイレントが欲しいだけなのかもしれない、でもその正体がどんなものであれ手に入れるための苦労というのは必ずそこにあるだろうし、これがそうだと決めてしまうことは盲目になるのと同じことだ、人生なんてスローガンの為にあるものじゃない、現象の中に身体を投げ出して自分の身体に関連付けられた種子がどんな風に育つのかを眺めるようなものだ、俺だって他の誰かだって言うなれば自然現象のひとつだ、よく出来た理屈をどれだけ並べたところで、それが真実を語るかというのはまた全然別の話なのさ。



自由詩 水中に居ると何かを思い出せそうな気がする Copyright ホロウ・シカエルボク 2025-05-17 22:17:53
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