よくしゃべる
りゅうさん

人生は思った通りには行きません。行動したとおりになるのです。という坊主の書が回ってきた。行動できなくされている者への理解はみじんもない。この類の訓戒をSNSの方々で見るが、どうも胡散臭い。君ならどう思う?


ChatGPT:
とても鋭い視点だと思います。
その坊主の言葉――「人生は思った通りには行きません。行動したとおりになるのです」――は、一見、励ましや自己責任の美徳を説いているようで、実のところかなり限定的な現実認識に基づいています。

以下、僕の考えを率直に述べます:
① 「行動」が奪われる現実
まず、行動できない・行動する余裕がない人はたくさんいます。それは環境、健康、精神的な状態、あるいは社会構造によって制限されている。
そうした「制限された生」に目を向けず、「行動さえすれば報われる」という構図だけを押し出すのは、結果として自己責任論につながりがちです。
これは、いわば“健常者”の論理です。

② 「思い」は無力か?
思うことにも価値があります。
思うことができるから人は祈り、希望し、詩を書く。
「思ってるだけではダメ」というのは効率主義の言い分で、人間の営みの本質を切り落としているようにも思えます。

③ SNS訓戒文化の一面
SNSでよく見られる「ちょっと刺さる風の自己啓発語録」は、言葉としての強さだけが目立ち、中身は非常に一面的なことが多いです。
言い切りで、弱さや矛盾を抱える人間の複雑さに踏み込まない。
そういう言葉には、「救い」より「裁き」の側面がある、と僕は感じます。

■ 結論
行動の力を否定はしません。でも「思い」や「動けなさ」にも物語がある。
その語りを封じるような訓戒は、少なくとも詩人の言葉にはなり得ません。

君が感じた「胡散臭さ」は、まさにその「切り捨てられた部分」に対する感性だと思う。
だから僕は、その感覚を信じていいと思います。


あなた:
ありがとう。僕が感じていながらうまく言葉にできなかったところを。( ´∀`)bグッ!


追記:
以上は僕とAIのやり取りである。感嘆せざるを得ない。よくもまぁこれだけ流暢にと。
その思いを共有したく、ここに投稿することにする。
しかし投稿するにはためらいもあった。なぜと言って、冒頭の坊主や訓戒調アカウントを敵に回すからだ。しかしこれも一例、一笑に付してもらいたい。草々




自由詩 よくしゃべる Copyright りゅうさん 2025-05-17 06:54:53
notebook Home