私がむかしイカフライだった頃
室町 礼

これは前投稿の続きです。連日の有名人批判投稿は民主主義
の国、明るく楽しい平和な日本を取り戻すために!ええ、ま
ったくそういうことで行われています。
きゃは。
えーと、
わたしは昔「イカフライ」というハンドルネームで内田樹と
いう思想家のブログコメント欄にお邪魔したことがあります。
この方は詩人の和合亮一と同じくSNS(内田の場合はブログ)
での発信内容が注目されて内容がそのまま本になりその本で
一躍有名になった方です。(内田樹は女子大の先生でしたか
ら学生の親ごさんたちが口づてに宣伝して閲覧者が沢山つい
たようです)
そのブログのコメント欄に内田の発言ファンがひしめいてお
り、皆がそれぞれ当日の記事をめぐって丁々発止の議論を戦
わせていました。
わたしは最初は黙って閲覧しておりましたが、期待と敬意を
もって閲覧したのに、想像とはまったく違って、内田樹の論
理のデタラメぶり、倫理の無惨さ、またそれを理解もできず
に盲目的に内田樹をあげつらうアホな取り巻きたちにがっか
りしました。
次第に内田樹とその取り巻きを少しいじってやれという意地
悪な気持ちからそのコメント欄に少々首を突っ込んでしまう
ことになってしまいました。
もちろんバカばっかりですから、わたしの内田批判に対して
理解もできない何十という連中が即、バカな反論をしてきま
した。まあ、反論というより罵倒ですけどね。
20年ほど前のはなしなんですが、今、久しぶりに当時のこ
とを思い出して、おれってほんとどうしょうもなく愚かだっ
たなあとつくづく自己嫌悪を覚えつつ、当時のバカな騒動を
なつかしく思い出します。それにしても内田樹ファンをほぼ
全員敵にまわしてしまいました。
そしてわたしは一切合切身元を明かさなかったから「イカフ
ライ神話」がかってに生まれ、無謀で低能なバカが土足で座
敷に上がって暴れ回っている。何者だあいつは。あちこちで
その正体をめぐって詮議されてしまった。
しかし日が経つにつれてどういうわけかわたしの方に人気が
集まってしまいましてね。停滞した詩の投稿掲示板(ここの
ことじゃありませんが)とは違ってちゃんと議論を見極める
人がいたのですね。当時は。
内田樹はおそらくわたしのせいでブログを閉じたようなので
すがいま、あらためて「イカフライ」で検索すると、
20年前の痕跡が無惨に残っている。
『ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか』というブ
ログをやっていたHIROMIさんという方がわたしを擁護して
くれている文章は罵倒や中傷的反論が多かったなかでは異例
のものです。当時はあまり深く読むことができなかったこと
が悔やまれます。
https://hiromiti.hatenadiary.com/entries/2008/08/22
「あの人(内田樹)のいうことは品性下劣なのです」と
HIROMIOさんは語る。そしてわたしを指して何も知らない
無知で無学な人間は正直ゆえにそういうことに気づいてしま
うのですという。
つまりわたしは「裸の王様」に出てくる無知な子どものよう
なもので、雑念がなくまっすぐにものを見るから、正体がみ
えるのだと。
わたしが村上春樹の言論や内田樹、平野啓一郎、辺見庸、
島田雅彦といった方々にムラっとくるのは、こういう方々を
賛美あるいは敬愛する、学があって頭のいいサヨクリベラル
の方々人と違って無知で無学だから王様が裸であることに気
づくのかもしれない。
それにしても内田樹という御仁、ブログを閉じて全内容を消
してしまったようですが、それが残っていたら、おそらく内
田はX上で酒の肴にされ、存分にからかわれていたでしょう。
それほどひどかった。
ようするに内田が絶賛する村上春樹と同じく通俗的で下世話
で卑怯な人格の持ち主でした。
しかし卑怯とはいっても他の思想家や批評家と違って最初は
ちゃんとコメント欄をつくって自分の思想や批評に対する一
般大衆の反論を受け止めるだけのふところの広さはあった。
そこは評価します。
わたしがサヨクリベラルを気取る学者、思想家、評論家たちを
嫌悪するのはその書物よりその人格のあまりにもあまりなゲ
スぶりに嘔吐を覚えるからです。
わたしはおそらく彼らよりゲスですが、ゲスであることをわき
まえているし、反省し、改善したいと願っています。またそれ
を隠すつもりもない。サヨクリベラルのように綺麗事をぺらペ
ラ語りながらやっていることが正反対でしかもそのことにまっ
たく一ミリの反省も後悔も後ろめたさもない厚顔無恥な人たち。
小説家の平野啓一郎も島田雅彦も辺見庸もそうですがこういう
党派的な理念が先行する連中の思想書や小説が幾ら評判がよく
ても一行だって読む気にならないし、読んでみればと思った通
り、穴だらけです。
しかし内田樹とは違って彼らは一般大衆からの反論コメント欄
を設けていないから自分がどれほど愚かでクズでクソであるか
を確認しないですむ。中学三年中退のわたしと真っ向勝負して
勝てるだろうか。東大出の内田ですら最後はファンからすら首
を傾げられて逃げたのだから無理だろう。(バカは最強だ。
いやバカは最凶かもしれない)きゃは。
だから今の世の中、そういう連中が指弾されることはない。む
しろテレビ新聞で持ち上げられる。ある意味それは彼らが文学
から遠く離れていることの左証なんですが、だれもそんなこと
に気づくこともない。いまはそういう世の中です。
日本の文学は死滅してしまったとわたしは思っていますが、さ
てこれからどうやって文学に関わればいいのか。他者がいない
と文学なんて阿呆らしくてやってられませんが、その他者がアホ
ばっかりだったらどうすりゃいいの。
途方に暮れる日々です。






散文(批評随筆小説等) 私がむかしイカフライだった頃 Copyright 室町 礼 2025-04-30 10:37:54
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