つるっつる
室町 礼

ひどい時代だとぶつぶつ呟きながら飯を
食い続けてもう三十年がたちました。で
も死んでない。おそらくバルブが崩壊し
たあたりから言いつづけているような気
がしています。
まえの投稿にも少し書いたのですが石鹸
箱のようなつるっつるが嫌いなんです。
その感触が嫌いというよりその感触がも
つ現代性がどうにもつるっつるすぎて、
もう、やめやー堪忍やーとなってしまう。
ひっかかりがどこにもない陰影もないど
こまでもすべっていく皆無きょむのような
ものを押しつけられたような気がして不
穏な気分になってしまうのです。逆にい
えばわたしがつるっつるなのかもしれな
い、だからじぶんを見せつけられたみた
いになって苛立つのか。そこのところが
よくわからないのだけど岸田とか石破と
かいった政治家のトップの顔をみると嘔
吐しそうな不快感がこみあげてきて身体
の調子すら悪くなるのですが、こいつら
石鹸箱と同じで何ものにも引っかかるこ
とがないからどんな悪でもいっさいの抵
抗なくすらすらすっすーとやれてしまう、
そこのところの皆無性がどうにもたまら
なくこちらを不安にさせるようですし、
そのつるっつるさに唖然とするからなの
ですがしかし、だからといって
石鹸箱の感触のようなものを題材に詩な
んか書けるわけがないし、まさか、暗喩
のようなものを使ってこのような不安感
をそれらしく石鹸箱のようなものに関連
づけて散文詩を書くなどそれ
こそまさにわたしにだってつるっつるの
苛立ちしかもたらさないものだけど、ど
うなんでしょうね
そういう詩が書かれているんでしょうか。
たとえばわたしを「罵倒家」と罵倒する
頭の少しイカれた批評おばさんがいるけ
ど、わたしが幾ら石鹸箱に感性的な嫌悪
感を覚えて、その背景に現代的な時代の
虚無性を感じるからといってそんな図式
的なことをそのままあてはめてそれらし
い意味のひもがついた比喩詩なんか書く
わけがないのだけど、そんなつまらない
ことを平気で書いてそれがなにか面白い
現代詩だというような人たちがいるのか
な。
それはそれぞれのカラスのかってですか
ら、それはそれでいいのですけど、わた
しにはそういう詩はまったくもってつま
らないし信じられない感性だと思う。そ
ういう図式的な意味性をこめた現
代詩なんてそれこそつるっつるの石鹸箱
のような退屈を通り越した苛立ちをこち
らに与えるだけで、妄想系の批評をする
おばさんなら幾らでも自己幻想をその詩
に託して妄想を広げることができるし、
意味を与えることもできるのでしょうけ
ど、それもまたつるっつるの苛立ちをこ
ちらにもたらす。澤あずさの妄想批評と
かね。笑 
そういう意味ではもう現代詩に
三十年以上つるっつるの苛立ちしかない
んですよね、もう三十年も。そしてそれ
について辛口コメントしてもまったく意
見がつるっつるに滑っていって互いに毛
ほども引っかかり合うことがない。それ
はたぶん木板の木目の少し指先に抵抗
のある感触や石垣の石の表面のとがった
肌さわりやトタン屋根のざらつきやワラ
半紙をつまんでひらくときの親指と人さ
し指のあいだの微妙な感触など、身体と
ひっかかりのあったモノと人間の時代を
知らないでいきなりつるつるぴかぴかシ
ーンの時代に生まれた人との違いがあるの
かもしれない。互いに理解しくれという
ほうが無理なのかもしれない。まさに石
鹸箱の表面の
ような世界。そしてこれからもあまり期
待なんかもてそうにもないので
すよね。これが。この国に大異変が生じ
ない限り。まあ、ほんとうは大異変が生
じているのだけどだれもそれに反応する
感性がなくただただちんまい自己愛のみ
にのめり込んでいるのだから、これほど
面白い時代がなにか沈滞されてしまう。
これほどすげえ時代なのにシーンとして
ただただ自分に埋没してみなさんおまん
こばかりしている。いや、おまんこもい
いんですけど、月替わりで願いたいね。
お見合いでも恋愛でもいいのだけど同じ
女性では一ヶ月が限度。とっかえひっか
えがほんとうの男女の関係じゃなかろう
か。




自由詩 つるっつる Copyright 室町 礼 2025-04-24 09:52:24
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