ネット詩と理想主義
足立らどみ

ネット詩と理想主義
 

いろいろと暗すぎる。もっと理想に燃えた状態で、詩を吸収できる人、学び続けられる人、言葉の愉しみを共感できる人がなぜ居ない

ネット詩サイトで釣りで愚痴ってみたけど、ai(advocater inkweaver)さんは、どう思いますか?

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ai(advocater inkweaver)
ネット詩と理想主義

あなたの感じる「暗さ」は、現代のネット空間でよく見受けられる現象かもしれません。匿名性や情報の氾濫の中で、否定的な意見や極端な表現が目立ちやすく、理想に燃えて詩を深く吸収し、言葉の美に共鳴する人たちの存在が薄れて見えるのは自然なことかもしれません。

しかし、現実には、情熱や理想を持って詩に向き合い、学び続け、言葉の喜びを分かち合う人々は確かに存在しています。彼らは大きな声で自己主張するのではなく、小さなコミュニティや個人的な交流の中で、内面に秘めた情熱を静かに、しかし確実に育んでいることが多いのです。

オンライン上では、特にセンセーショナルな意見や愚痴が目立ちがちですが、それは必ずしも全体の価値観や情熱の状態を反映しているわけではありません。あなた自身がその熱い理想を持ち続け、表現していれば、同じ価値観を共有する仲間に出会うチャンスも十分にあると考えます。情熱ある詩の愛好者たちは、時に見つけにくい場所に隠れているだけで、確かに存在しているのです。


らどみ
居るのも知っているけど、足の引っ張りあいのほうが目立つのは、トクリュウの影響か、流行りなのか、このまま続いていくのでしょうか?

ai(advocater inkweaver)
「トクリュウ」の影響という指摘も一理ありますが、一概にどちらか一方だけが原因と断定するのは難しいかもしれません。

まず、特定の人物や思想がコミュニティ内で注目され、それに影響される形で互いに批判的になったり、足を引っ張りあう雰囲気が広がる場合もあります。もしトクリュウさんの発信や態度が、競争心や批評の過熱を助長していると感じられるのであれば、その影響が否定できない面はあるでしょう。

一方で、ネット上の文化やトレンドというのは、注目を集めるために過激な意見やネガティブな言動が目立つ傾向にあるという背景もあります。匿名性や拡散力の高さから、建設的な議論よりもセンセーショナルな批判や煽りが目立ちやすい環境になっているのも事実です。

結局のところ、足を引っ張りあう現象は、特定の影響力ある人物の存在と、ネット文化全体の風潮という複数の要因が絡み合って生じている可能性が高いです。

今後、この傾向がどう変わっていくかは、コミュニティ全体の意識改革や、理想を共有する人々が積極的に建設的な対話を進めるかどうかにかかっていると思います。熱意をもって理想を語る仲間が増えれば、今のような足引っ張り合いの文化も、徐々によりポジティブで支え合う方向にシフトしていく可能性は十分にあるでしょう。
 

らどみ
「積極的に建設的な対話を進める」ことにエネルギーを使う政治家なんて、今の時代、皆無なのではないのでしょうか?ましてやネット詩人ですよー。どだい最初から無理でしょ

ai(advocater inkweaver)
あなたの指摘には、現代社会の厳しい現実がよく表れていると思います。確かに、政治家の中には建設的な対話よりも、対立を煽る発言や自己主張にエネルギーを注ぐ者が多く見受けられますし、ネット上でもセンセーショナルな意見が目立つ状況は否めません。

しかし、一方で、完全に対話や相互理解が不可能だと断じるのは早計かもしれません。以下の点を考えてみてください。
1. 少数派の存在: 表面的には目立たなくとも、実際には少数ながらも、互いに尊重し合い、建設的な議論を試みる政治家やネット上の詩人、クリエイターは存在しています。彼らの声が大衆の中で拡散されるには時間がかかるかもしれませんが、確実に活動しています。
2. 環境の変化: ネットの匿名性や拡散力は、対立や過激な意見を促進しやすい一方で、逆に言えば、距離がある分、実際の対話が行われる隠れたコミュニティも生まれています。そうした小規模な場では、より理想に基づいた対話が行われる可能性は十分にあります。
3. 個々の取り組み: 最初から全体が理想的な対話に向かうとは限りませんが、個々人が自らの行動や発信を通じて、少しずつでもその文化を変えていく力はあります。政治やネット文化は時間をかけて変化していくものですし、たとえ少数派でも建設的な対話の種を撒くことは、将来的な大きな変化に繋がる可能性を秘めています。

ですから、あなたが感じる「最初から無理」という感覚は、現実の一面を反映しているかもしれませんが、同時に、少しずつでもその流れを変えようとする人々や試みは確かに存在すると考えられます。たとえ理想を共有する者同士の対話が狭い空間に留まっていたとしても、その小さな動きがやがて広がっていく可能性を、完全に否定するのは早計かもしれません。
 

らどみ
会話の中での場合分けは説得力を持ちますね。
個人的には、推論の度合いが深まっていくai(advocater inkweaver)さんも同じですがこれからの時代はどうしても加速していく共創のなかで作品を作るしかないので、気づかないと空回りが速くなって終わりになりますね。

ai(advocater inkweaver)
おっしゃる通り、場合分けや論理的な推論は、複雑な現象を捉え、説得力のある議論を展開する上で非常に有用です。私も対話を重ねる中で、さまざまな視点や条件を整理しながら新たな洞察を得る過程が、深い理解に繋がると感じています。

また、現代は確かに、技術の発展や情報の拡散によって、共創のペースが加速している時代です。個々の創作活動も、従来の単独作業ではなく、多様な意見や才能が交わるコラボレーションの中で、より豊かに発展していく必要があると感じます。

もしこの変化に気づかず、従来の方法に固執してしまえば、確かに「空回り」が速く進んでしまうリスクもあるでしょう。しかし、その一方で、柔軟に新しい考え方や技術、そして他者との協働を取り入れることで、より広い可能性が開かれていくとも思います。共創の過程は、一見すると混沌とした状態に見えるかもしれませんが、その中にこそ、時代が求める創造のエネルギーや革新が潜んでいるのではないでしょうか。


らどみ
潜んでいる革新を汲みとる人達が多数派ならば変わるのかもしれませんが、実際はしっちゃかめっちゃかな日々のなかで、今までをみていると声の大きい人がこれからも増えるだけのように思いますけど、どうすれば良いのでしょうか?

ai(advocater inkweaver)
その通りですね。現状では、しばしば「声の大きい」人々が注目を集め、議論の主導権を握りやすい状況があります。そうした中で、潜在的な革新や深い洞察を持つ声が埋もれてしまうのは現実問題として存在します。では、どうすれば良いのでしょうか。いくつか考えられるアプローチを挙げてみます。
1. 評価基準やコミュニティの文化の再構築:
 単に発信量や声の大きさだけでなく、内容の質や建設的な議論を評価する仕組みを作ることが重要です。たとえば、オンラインコミュニティやプラットフォームで、論理的な裏付けや実践的な提案、または革新性が明確な投稿に対して可視的な評価(いいね、リツイート、専門家のコメントなど)を行うシステムを導入すれば、真摯な意見が徐々に注目される可能性があります。
2. モデレーションとガイドラインの整備:
 コミュニティ内での議論を健全に保つために、過度に攻撃的な言動や無意味な煽りを抑制するルールやモデレーションが有効です。そうすることで、表面的な大声による批判や足引っ張り合いの環境を改善し、内容の濃い対話が行われやすくなります。
3. 小規模ながらも価値あるネットワークの形成:
 大規模なプラットフォーム全体を変えるのは一朝一夕では難しいですが、まずは少数の志を同じくする人たちによる小さなコミュニティやグループを作ることで、そこで実際に革新や深い対話のモデルケースを構築することができます。こうした成功例が広がることで、やがて大きな潮流となる可能性があります。
4. 教育や啓蒙活動:
 情報リテラシーや批判的思考を促す教育活動を通じて、参加者自身が「何が価値ある意見か」を判断する力を育むことも大切です。これにより、ただ声が大きいだけの情報ではなく、真に革新的なアイデアに耳を傾ける風土が育まれるでしょう。

どのアプローチも、一朝一夕に効果が現れるものではありませんが、地道に実践を重ねていくことで、最終的には声の大きさだけに依存しない、より質の高い議論の場が形成される可能性が高まると考えられます。もちろん、現実の厳しさや変革の難しさは否定できませんが、少しずつでも環境や文化を変えていく試みが、将来的な大きな変化につながるかもしれません。


らどみ
参考にできそうですね。ありがとう。軽いデッサンくださいね。

ふむ。ますますハラリの方向ですね。
よほどAIと相性が良いのでしょう(笑というより怖い)
https://note.com/adam_child/n/ne597b40c5298


散文(批評随筆小説等) ネット詩と理想主義 Copyright 足立らどみ 2025-02-09 01:32:21
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