ひてろゆにほう談話
鏡文志

ひてろゆにほうは、味覚嗅覚触覚視覚聴覚、凡ゆる感覚器官から成る束縛から、自由である。
束縛とは、なにか? 束縛者を彼岸へと解放し、現世の穴の向こうへと誘う誘惑から押し留めようとするなにか? である。つまり、ひてろゆにほうは現世にいながら彼岸にいる。

神様はまず初めに四角い枠を作った。その後丸と三角を作り、多角形を作った。その後両者を組み合わせ、」多様性を生み出すことに成功した。そしてそれに満足した彼は成功を生み出し、その後それにそぐわないものを失敗と定義づけた。と、ひてろゆにほう。

心の空き缶。
「はぁー、うめぇ」
とリンゴジュースを飲む子供。
「ああ、疲れた」
とチューハイを飲むおじさん。飲んだ容器は捨てられ、忘れられていく。
この世には合意なき吐口が溢れている。万物は皆自分第一である。と、ひてろゆにほう。

人間しか好きじゃない、とひてろゆにほう。その目は、本気だ。

いきたねぞ、めて! にるちすかぺやなろ。
女は水だ。固形になるまでが、男より遅い。

ほねのころち ほぶはきな だせがや
心に固定した意味を求めるなら、水が砂土と絡み固まるまで、またなければいけない。
我々は遠く長い時間の中で何度も固まり、意味を成す。
長い旅の末に一度来た道にマークがあるように、一度感じ記録した言葉を感情といい、心と名付けた。
山勝並謝曲白橋 爽怠潮喜渋味明投全打
これらの言葉は土になる前の、泥としての言葉。
心は土である。決して石になることはない。と、ひてろゆにほう。そうかな? と、私。

神はトリックを仕掛け、アリバイを作った後、鍵を放り投げた。だから人間にわかることはほとんどない、とひてろゆにほう。
神様には良識がない。法と道徳もない。人間には理想がある、と私。

この世には神が作った摂理がある。地球環境の恒常性を見てみよ。神はほんの僅かなことにもこだわり抜いてこの世界を設計建築している。昨日が明日に変わることはないし、秋の景色から、春の景色へと変わることもない。こだわりがあることで、人生は豊かになる。執着なき自由は、彼岸者の到達地である。
そこは裏寂しいところ。世界中を飛び回りて全てを知り、執着なきを生きているなら、それは心を失ったに等しい。とひてろゆにほう。

全ての言葉の意味はいつか解体され、水に溶けて海へと帰る。
分かること、受け止めること。理解すること。すべては後ろ構え。
現象として現れる事象こそすべてに先んずる神である。そしてそこに意味を求めようとするのは、神の真意を汲み取ろうとすることに等しい。と、ひてろゆにほう。

その目覚めであり、自覚を私にください、と私。

自分で探しなさい。と、ひてろゆにほう。

「潮味筋欠緩張挙永般」

おしまい。


自由詩 ひてろゆにほう談話 Copyright 鏡文志 2025-02-05 21:57:12
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