ひてろゆにほう談話/鏡文志
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りつ 
- あまね 
- atsuchan69 
- ひだかたけし 
いつもながら?突っ込んだ問い掛けで申し訳ない、
のですが…

〉…こだわりがあることで、人生は豊かになる。執着なき自由は、彼岸者の到達地である。
そこは裏寂しいところ。世界中を飛び回りて全てを知り、執着なきを生きているなら、それは心を失ったに等しい。

と云うひてろゆにほう、

〉個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。(ゲーテ)

と並べ改め詩想してみると、
鏡文志さん的には如何なるものになるのでせう?




以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 洗貝新

何のことでしょうか?ひてろゆにほう。とは、はたれやなふえ。
 
作者より:
りつ様
あまね様
atsuchan69様

ポイント頂き誠に幸せ。ありがとうございました。
---2025/02/06 18:30追記---
パン⭐️ドラ様
ポイント頂き誠に幸せ、ありがとうございました。
洗貝新様

ひてろゆにほうはあまり意味はないというか、病院に入院している時に、子供が喜ぶだろうと書いた怪獣の絵にひてろゆにほうと名付けました。言葉遊びをやって名前をつけることが良くあり、このヘンテコな名前とモンスターで遊んでみようかな? と言う企画を頭の中で練っている中で作られたキャラクターです。
田舎にずっと住んでいて欲しいものがここにないというか、環境のせいにしていると言われましたが、どこかで描きたいモチーフを見つけることが大変です。
コロナの時はテレビニュースから色々生まれましたが、実生活ではお年寄りと病者と暮らす田舎暮らしで、人が恋しいとか若い娘と遊びたいという欲求に見合うものがここにないのですよね。それでこういったシュールな童心遊びを続けてしまうのかも知れない。
---2025/02/07 05:50追記---
ひだかたけし様
神の摂理というか、神様でさえこだわり抜き設計デザインにこだわり抜いた地球環境。
ゲーテが言ったのはなんでもいいということではないと思いますが.....人間に緊張感は大事だと思います。価値観や譲り難き者の呵責に社会の中で身悶えしながら、それでも譲るべき時は譲れる人間でなければいけないというのはわかりますが。
昔の古代の名文をどう解釈するかは難しいですね。通りいっぺんの視点で受け取るべきなのか?
より広い視点で見るこだわりということなら、狭い垣根を跨いだところにある拘りということでいいのではないか、と。

私は思うのです。言葉や意味というのは個人が荒れ狂う海の中で漂流しないようにしがみつくものである、と。それを失った時、人は狂気の世界の住民であり、漂流する人間の一人。つまり大衆の一人に成り下がってしまうと。
規則性を学び、理解に努めること。それをこだわりと言ってもいいのではないかと私は思うのですが。画家の山下清氏は、おおらかなイメージと対照的に、規則性への固執性が強い人間だったそうです。

「執着心こそが好きの虫である」
これは落語家の立川談志師匠の名言として知られておりますが、彼は何者かになった人間と私は思います。
---2025/02/07 06:05追記---
ひだかたけし様
ポイント頂き、誠に幸せ御礼申し上げます。

さて、追文になりますがゲーテの言葉、自己を諦めるというところに、他人或いは他者のために、もっとい言えばもっと広き者のためにという視線を感じます。
例えば人間というものもいつかは果て、動物界の王者に君臨し続けることを諦めなければならない。
その時にどれだけ美しく果てるか? そういうことも考えてみるといいのかも知れません。
地球環境に優しく、なるべく他者他人に対して優しく。自己に対して厳しく。そういう意味での、自己を諦めるということなら私は合点がいきますね。

訂正履歴:
加筆修正しました。25-2-6 11:39
固形になるまでが男より早い→固形になるまでが男より遅い。修正しました。25-2-5 21:58

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