才能論
鏡文志

才能とは、なんだろう?
生まれつき愚かな人間と、秀でた人間に二分されているだろうか?
私はそう思わない。

僕が思うに人間とは皆天才の部分があって、それが伸びるかどうかは環境次第だと思う。
僕が自分が天才だと気づいた時、周りの人間は愚かに思えた。
どう愚かに思えたかというと、なにかを盲信している。
テレビであるとかマスコミであるとか学校教育であるとか、友達関係世間人間関係から生まれるもの。
それらのものに何某かの洗脳を受けている。
僕が何故それに飲み込まれなかったかというと、それは僕が生まれつき群れに取り込まれなかったからと言うことに他ならない。
これがもし、群れに馴染めて集団に溶け込めて、成績優秀で女にモテてと言う人生を歩んだら、なんの疑いもなく与えられた人生を甘受し、洗脳に対し躊躇いもなく受け入れ、才能なんか欠片もない優等生になっていたかとも思うのだ。

私の言っていることは大胆な仮説に思えるかも知れない。
それは世に言われている成功物語とは真逆の説であるからだ。
しかし私はこの説を信じる。

大学へ行って成功して、その度にバカ度を深めていく人がいる。
暗記教育で、なにが理解出来た?
大体他人に敷かれたルールでいい成績取るために勉強して、なにがやりたかったかって、モテモテになっていい女とやり放題の人生を歩むぐらいのことが根底にあったりする。

自分がこれをやりたい、そのために勉強してない。
僕は秋本治先生に憧れて漫画家になりたかった。ビーチボーイズに憧れて、歌手になりたかった。

それでなれなかったじゃないか? と結果論を唱えたがる人もいるだろう。
僕は全然そう思わない。

いい作品作るには僕の考えている人材が必要。それは才能の問題じゃなくて環境の問題。
そして僕は別にまだ死んでいない。

歌の作り方組み立て方は自分で学んだ。自分なりの論理と理論で鑑賞し、作りながら覚えていったんだ。
漫画にもリズムがある。リズムがあると言うことは歌があると言うこと。

僕は昔から聴覚の理解力と記憶力が凄い。
心で覚える。心で感じ取る。決して頭じゃない。

現世に万物をしがみつかせ、死へと解放に向かわせないための、感覚器官。
これが人より発達していると思う。

感覚型だから一見唐変木で物凄い愚かな行動を時にしてしまう。つまり天才でありながらバカであると言う漫画のキャラクターそのままなのです。

成功しないように出来ない人間はバカであるとか、そう言う考え方にしがみつかない。
ある程度はここは失敗してはいいかなと言う線が無意識であって、失敗しても許せるところは失敗しているのです。そしてもし全部失敗したとしても、別にいいかと言う危険な考え方をしている人間だと言う自覚もある。つまり実験魔であり、実験バカなのです。知的冒険屋ともいえる。

私が生まれつきなんでなんで? と疑問に思うなんでなんで人間だったことは確かだ。
こうなんじゃないの? こう言う考え方もあるのじゃないの? なんで成功しなきゃいけないの? なんでモテなきゃいけないの?

その実験の根本にある何故何故疑問が人には分からない。それで苛つかれ、バカにされる。
僕は天才ではない。洗脳されていないだけなのだ。敷かれたレールに置いてけぼりを食らった寂しいやつさ。

まあだから、それを天才だと自分で言いたいわけなんだろうけどもね。
成功しなきゃいけないの根本にsexがあるような。人間を一番愚かにするもの。ダヴィンチも童貞だったそうだ。芸術はセックスだと唱える人もいるし、ダヴィンチもsexをテーマに作品を作っているし。僕自身もそっちに興味は人並み以上にある筈なんだけど、出来なきゃダメとは思ってないよなあ。僕は強引な男性像には反対の立場。それで世の中はバカばかりと高い高い木の上でつい、語ってしまうのです。


散文(批評随筆小説等) 才能論 Copyright 鏡文志 2025-02-04 20:07:02
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