弔辞台本原稿 長男へ
鏡文志

えー、先ずはこの弔辞の場に置きまして、改めて長男の葬儀に出席頂きました皆さんに家族の一員の一人としてお礼を申し上げたいと思います。
弔辞の席において、本人へのメッセージを関係者として読み上げると言うのが割とノーマルな在り方だと思います。ただ、私は長男に関し投げかけたい言葉メッセージというのは惜しむ思いとしての悲しみを皆様が求めるような形で読み上げる内容というよりはいささか辛辣なものを含んだものに大分時間を割く内容になってしまうものですから。それは私と長男の関係が、あまり良くなかったことを表しておりますし、ここにいる特に両親次男共に嬉しいものではないかと。今回葬儀の席に出席させて頂くという場に出るものとして、そう言った辛辣な言葉を投げることに問題があるとは本音ではあまり思えないのだけれど、弔辞というものがある種の見世物で、公の前で本音をぶつけた時に、ここにいる方達が少々ショックを受けるものになるのではないかという配慮が働きまして、それであの、私が見てきた長男の姿とそこで私が感じてきたことを、割と冷静に訥々と兄に向けてでなく、長男の方を向きながら、皆さんに向けて語ってみたいと思います。それは私が長男との関係において、ドメスティックな関係でなく、第三者的な視点を求めそれが必要だったことを表している気もするし、それをこの場における語りを聞いた後に皆さんに納得して頂けるように語りたいと思います。

レイプにおける被害者というのは精神的な錯乱から色々な症状を起こすそうです。パニック障害などもその一つでしょうか? 私は長男からずっと肉体的精神的また生理的な面でも過酷なまた、陰湿な暴力を長期に渡って受け続けて来ました。一般的なレイプのイメージと言うのは一夜にして終わるものだというイメージがあると思います。それと私が受けて来た長期かつ長時間に渡る長男のハラスメント行為のどちらが過酷かは科学的な数値では図ることはとても難しい。もし測れるとしたら、それはお笑いです。長男はこう言ったユーモアをとても嫌いました。父親は人前に限らず私がその話を持ち出すことをとても嫌いました。
「もう終わったことだろう。いつまで引きずっているのだ。もう子供じゃないのだぞ」
と。家庭内において兄の弟への暴力行為を黙認し、時に加担すらしていた父が何故それをいう権利があるのか? 父親だから当たり前だと思う人が多いでしょう。本当にそうでしょうか? 私が家庭内において暴力行為やハラスメント行為が繰り返される家に長期に渡って依存を求めていたと思う根拠はどこかにあるでしょうか? 家庭内において暴力行為が繰り返され、父親も加担して抵抗してパソコンを壊した私は次男の正義感により警察を呼ばれ、拘置所へ。そして婦警が妄想を私が喋っていたと取り調べをする警官に告げ、私は精神病院に入院しました。14歳の頃のことです。父親は私が甘ったれていると、腹を立て長男に対して厳しくしたようにもっと厳しく育てれば良かったと語りました。ちなみに長男は小学六年生に上がる頃には精神を病んでおり、薬を大量に飲んで自殺行為もしました。幻聴が聞こえたということで父はヨガに連れて行ったそうです。学校でいじめを受けていたそうですが、いじめなんかに負けるなと檄を入れて学校に行かせたそうです。私が小学生の時、父親が目の前で長男にプロレスの寝技のようなものをかけて押さえつけ、長男が
「なにするんだよ?」
と叫ぶと
「殺すんだよ、お前を」
と言っていたのを確かに覚えております。当時兄は小学六年生。電話越しに何度も長男は父から来る電話に怒声で返し、受話器を切った後は、父への不満を唱えながら私の前で涙を流しておりました。父親はよく私にこう言いました。長男を自分を虐めた祖父のような人間のようにろくでなしにしたくなかったので厳しく躾けたのだと。しかし、小学六年生の子供が精神を病むことの問題を本当に学校の問題だけにするべきでしょうか? それほど嫌な思いをしている学校なら父親として転校させる計らいをすることも出来たかもしれない。そして、学校に直接関係のないところで親が暴力を働いていたとあれば、それは父親にも精神疾患を作った原因があるのかも知れない。それを何故父親は治すためにヨガ道場へ連れて行ったのでしょう。自分には原因がないから、もしあったとしてもそれをやることは父親として当然の権利であり、問題への対処は他の専門家に求めるべきである。そう考えたからに他ありません。過酷な暴力を受けている息子が精神的困窮状態にあった時、その原因を作った人間がするべきことはヨガ道場へ連れて行ったり精神病院へ連れて行ったり、態々お金や時間を費やしてやることでしょうか? 父親は子供は親のものである以上、親のいうことに徹底して服従させ、しないのなら殺してもいいと私たち兄弟に対し、態度で示しました。そして私が父親の言う意見に合わせるのを見ると、後で自分がないやつだと軽蔑の言葉を浴びせました。そして私が学校で嫌なことをしてくる同級生の歯を鉛筆で刺すと、教師は問題視し、母親は私を叱りましたが、父親は笑っていました。そして私が5年生の頃サッカー部に入っている私が同級生に嫌なことをされながら笑っているのを見ると、その同級生に対してでなく、私に対して怒りを露わにし、昔はお前はもう少し人のいうことを聞かないやつだったと軽蔑の意を露わにしました。
小学一年生の半ば頃から長男から毎日暴力を受けるようになりました。目を真っ赤にして腫れた顔になった私を見て、父親は長男にとても怒ったそうです。抵抗してパソコンを壊し、警察から精神病院へ入れられるまで長男の暴力は続きました。母親は、私が
「腹を殴られるととても痛い」
という苦情を受けて
「長男に腹だけは殴らないように言っておいたから:
と私に告げましたが、その話を聞いて私が安心出来ると思ったわけではないでしょう。面倒な息子への苦情に応えてやったという思いだったのだと思います。
「お前の問題。お前が殴られるのが嫌ならお前が殴られないようにしろ」
とでもいうところでしょうか? 私が喜んで殴られていたとでもいうのでしょうか? 抵抗をしなかったとでもいうのでしょうか? 夜になればナイフで長男を突き刺すことも出来たでしょう。目を真っ赤に腫れた顔で病院に行った私を見て長男に父親が怒っていた時代はほんの僅かで、いつの間にか両親は長男の私への暴力行為に口を閉ざし、時に加担すらするようになりました。私の長男への不満を聞いた父親は時々言いました。
「病気だから仕方ない。我慢して」
と。精神病と認められてから両親は長男に対しとても甘くなりました。足をテーブルに乗せる。エロいポスターを一緒に買いに行ったこともあったようです。長男は音楽家として成功することを夢見ていました。言葉のないインストゥルメンタルでした。成功することはとても難しかったと思います。素質とか才能というのがどういうものか私は正直わかりません。しかし音楽というものを理解しわかっているかどうか。それが作品に現れていることは一つの評価基準になるとは思います。言葉がない。理屈がない。理屈が抜け落ちている。しかし、それを聞いて心地よいと思う人もいるのかも知れない。一種の心地よさに逃げるタイプの音楽。無思考性を長男は好み、音楽の中に心地よさを求めました。人が大自然という混沌の中から人間にふさわしい形での規則毎を作る時そこには規則毎があります。音楽の中にはその見えない規則や決まり事があり、それは何千年という歴史を重ねて積み重ねて来たものです。そこにある規則毎の中から心地よさだけを取り出して聞かせ、それを広め合うことも出来るかも知れません。便利な時代になりました。無思考性が好まれ、理屈が嫌われる時代になった。長男の音楽はその時代において病者の集いである福祉施設においては受け入れられることもあったようですが、一般の世界においては難しかったように思うのです。一般の世界には建前や見栄があり、ただ気持ちいいと本人が思い込んでいるだけの音楽を皆で共有出来るか? 長男の問題は音楽家としてどの世界で成功したかったのか? という受け入れ先の問題でもありました。福祉の世界で成功することはあり得たかも知れませんし、今後も残された音源をありがたく聞く人も現れるかも知れない。しかし、長男は一度仕事を辞めて、新たな職業が直ぐに見つからず、一般就職から福祉の世界へ敷居を少し下げようとしてA型作業所の試験につまづいたことが大きなきっかけで精神錯乱を起こしそのまま気が狂いて、放火事件を起こし、精神病院へと入院し、二度と帰らぬ人へと成り果てました。
ここでも思うことですが一般で普通に働けた人間が、敷居を下げたつもりでA型作業所の試験を受けてダメだったと思い焦るという構造です。果たして一般で働ける力を持った人間が、A型の作業がうまく行かないことに問題があるのかということです。福祉の基準はいろいろあるでしょう。しかしスーパーでまる2年働いた私が感じたことですが、A型の作業の中には一般より基準が厳しいものがある。そして、待遇はどちらが良いかというと、それは一般の方がいいと考えるのが通常でしょう。
我々は常に箱の中に入っていて、その外側から見た視点の入り込む隙のない世界を生きている。しかし五感を閉じた直感的思考による違和感第三の目というものが個人の中にもあり、それを私は時折態度で表したことが世の中に馴染めなかったことや、長男から暴力を受けた原因でもある。父は私の家庭内における暴力への回想を全て妄想だと病院の医師に語り、二度目の保護入院に同意の意思を親の権限として振る舞い私は二度目の入院を数年前にしました。しかし、家庭内で暴力行為があったことは、一度目の強制入院の際入院先の病院が長男の証言により確認済みであり、それを記録した医師も存命ではある。
私のこれまでした話の一切をすべて妄想で済ませるのは皆さんのご自由です。私が長男から受けた肉体的暴力の細かい内容や、言葉による暴力生理的嫌悪行為によるハラスメントについては、これまで何度か記録したり公開したこともありますが、間に受けられた訳でもなく、書くことの心理的負担や、それをすることにより報われるものもあまり見込めるものではないため、省略させて戴きます。

最後に長男に投げかける言葉。そうですね、長男は私に対し親愛の情を示し、愛されるような努力をしたことがあったでしょうか? 一つあるとすれば文化です。
「素敵な音楽を沢山教えてくれてありがとう。また天国で逢いましょう。ロックンロール!」
どうも、ありがとうございました。


作品関連音源 Youtube おにいさん、しんでくれてありがとう


https://www.youtube.com/watch?v=zMkQJkbeYYs


散文(批評随筆小説等) 弔辞台本原稿 長男へ Copyright 鏡文志 2024-12-23 22:15:28
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