雨の中で
ホロウ・シカエルボク
歩道橋の下で雨を凌いでいた、空は灰色の絵具を混ぜた水のような色合で、それは逆に気分を少し冷静にさせた、灰色、それは特別なことではなかった、灰色は俺の日常の色彩だったのだ、買ったばかりの靴の底が少し気になった、小石が溝に挟まっているようだ、何度か路面に擦り付けたらそれは解消された、急に降り始めたから急に止むだろう、我ながら楽観的な見解ではあった、構やしない、どのみち見解なんてものが現実とリンクする確率は極めて低いのだ、見解があるだけで自分を利口だと思えるような連中以外はみんなそのことに気づいてる、俺の言ってること間違ってるかい?ともかく今は待つしかなかった、濡れて帰ることに抵抗があるわけじゃないけれど、本屋に寄ってから帰りたかったのだ、雨は調整中なのか様子が安定しなかった、今にも止みそうな小雨になったり、これから本格的に降り出すだろうことを予感させる力強さを見せつけたりした、どうやら雨の方でも、自分が今望んでいる形をきちんと表現出来ないでいるらしかった、歩道橋の横に立っている古いビルの前に自動販売機があるのが見えた、こんなところにこんなものあったかなと少し考えたけれど、自動販売機の定位置なんてあってないようなものだ、ある場所にあったものが消えたと思ったら、ほんの数メートル先にまた現れたりする、温かい飲み物を買ってまた歩道橋の下へと逃げ込んだ、本物のコーヒーからかけ離れた、人工的な甘みのある、いわゆるコーヒー飲料というものを飲みながら空を見上げていると、これまでに何度こんな時間を過ごしただろうとふと思った、強制的に発生する時間の無駄とでも呼べそうなこんな時間、それは俺にいったいどんなものをもたらして来たのだろう?また俺はそれを、どんなふうに生かして来たのだろう?そんなものを受け取った記憶も、抱いて来た記憶もなかった、全ては記憶の最奥で埃を被っているだけの風景だった、またこの先何度、こんな瞬間が訪れるのか?無意味な悩みといえば無意味な悩みだった、出来るだけコンパクトな折りたたみ傘でも鞄に入れておけばいいのだ、実際、そうしていたこともあった、でも数ヶ月で止めてしまった、台風でぶっ壊されたのだ、雨風に強い、という謳い文句の一品だったのに、別にタイミングが悪かっただけと言えばだけなのだけど、それからもう六年くらいは経っている、別に二度とするつもりはないというわけでもないし、いつか突然また始めるかもしれない、ただそんなことがあったというのを今まで忘れていただけなのだ、人間は本当の意味で、瞬間を生きることしか出来ない、ただそうして生きていく中で積み重ねられた様々な体験、記憶が、その時々の意味を変えていくだけなのだ、時を基準に考えるなら、毎日なんてものにまるで意味はない、俺が今何について話しているかわかるかい、要は、意味だのなんだのは、そこに放り込まれて生きているひとりひとりの人間次第だということさ、それは今この瞬間に意味を持たせるだけじゃない、過去に通り過ぎて来た様々な出来事も意味を変え続けるということだ、つまり、それが俺であるとすれば、俺の過去、俺の今に、確固たるものなど何も無いということなのさ、抽象画のようなものだ、知識や経験、感性なんかで見る者によってまるで違う印象になるだろう、またそれを思い返し、改めて熟考してみるかどうかによって、さらにその差は広がっていくはずだ、絵はただ、そこにあるだけなんだ、それがどういうものなのかを決めるのは、その前を通り過ぎたひとりひとりの人間なのさ、俺は思考することを好む、ひとつの出来事にいくつもの答えを持たなければ、一歩も先へ進めない人間なんだ、だから、自分だけの歩き方をするしかなかった、そうして歩かなければきっと発狂していただろうな、世間様の在り方は俺にとっちゃ安易に過ぎるんだよ、世間、常識、世論、政治…大きな括りばかりを気にして、自分の足元を見失ってるやつらばかりさ、集団を重んじるのはお国柄なんだろうな、逆に言えば、そこから外れたことは何ひとつ出来ないってことなんだ、周りを気にするよりまず、自分を気にするべきなんだ、個が出来上がっていない人間が集ったところで、社会はろくなものにならないさ、それが今じゃないか?そんなことを考えながら缶コーヒーを飲み干して、再び自動販売機のところまで歩き、横のボックスへ空缶を捨てた、その時に初めて雨が止んでいることに気づいた、考え事に夢中になって当初の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ、俺は顔をしかめ、歩道橋を上って道の反対へと渡った、歩道橋の上から道の先を見下ろすと心がざわざわした、それがどんな感情に起因するものなのか、まるで思いつけなかった、ゲリラ豪雨の後処理をするかのように、身体が揺らぐくらいの強い風が吹き荒れていた、ちぎれ続ける雨雲の隙間に、何かを決意したかのような強い光を放つ太陽がこちらを睨んでいた。