越冬
山人

 九月末にカメムシ防除の消毒をしてもらうのだが、あいかわらず彼らはその予防線を突破し室内に入り込むのである。しかし、彼ら自体の悪臭と薬物の作用でほとんどの単体は家屋に侵入後絶命、若しくは瀕死の状態で仰向けに転がっている。サッシと網戸のすき間には死んだ(弱ってはいるが死んではいないもの多々いる)カメムシの死骸がびっしりとカオスとなっていて、それを筆の硬いもので掻き落としながら外に捲き散らかす。外では、カメムシの死骸の雨が降る。
 妻考案のカメムシホイホイは画期的な道具だ。ペットボトルの七割から上部を切り取り、それを逆さにしてテープで粘着し、キッチン用のゴム手袋や古い割り箸などでその中にカメムシを投げ込む。するとカメムシは外に出ようと藻掻き上に登るが、決して外に出れないという仕組みだ。
 厨房の中を縦横無尽に飛んでいるカメムシを見るとどうにも怒りが収まらず、捕獲後はアルコールを垂らしチャッカマンで焼き殺す。その行為で私のどうしようもない怒りは収まる。いかに残虐に命を奪うかというプロセスがポイントとなる。
 カメムシが大発生する秋は大雪になるといわれるが、実のところ夏が暑かったせいで繁殖率が高まったとも言われている。
 昔、カメムシは好きではないが、秋の風物詩であるし、どうということはなかった。青年期の私はスキーに没頭し、むしろそういった冬の訪れを予感させるカメムシの飛来に希望を垣間見た時代があった。しかし、今は小屋の主として客の前に出したくない虫である。絶滅してほしいと願う虫である。
 ただ、はたしてこの超一級品の害虫カメムシはほんとうに害虫だけの生き物なのか?ということについての考察であるが、まんざらそうでもないらしい。春先にこれらカメムシの死骸が大量にばらまかれているが、これを春先に訪れるムクドリたちの餌になったり、カラスたちもそれを啄んだりしている。また、一説によると猿もこのカメムシを食するというのだ。食料自給率が四割の先進国は日本だけと言われているが、将来はこのカメムシを食うことになるのであろうか?
 猛然とアタックを繰り返したカメムシの飛来は十一月に入り、格段に減ってきたように感じる。山に居るカメムシはおおかたどこかに越冬地を見つけ、仮死状態に入っているのであろう。全身の血液を停止し、細胞だけが死滅していないという状態で冬を越す。虫というのは一旦凍ってもあたためると蘇生する生き物なのである。それほどの生命力を持ちながらも短命なのは、彼らには人生が無いのであろう。
 越冬するのはカメムシだけではない。私自身、首は十一月さらに細くなり、今月末でちょん切られてしまう。そのまま切られた首を持ってどこかに繋いでもらえるようなので安心はしているが。来年五月連休明けには再び首は繋がれるのであるが、そのまま首を持ってどこかに放浪したい気持ちがすごく強い。


散文(批評随筆小説等) 越冬 Copyright 山人 2024-11-02 05:40:51
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