アクロバット・プレイ
ホロウ・シカエルボク
叫びも、怒りも、悲しみも憎しみも、愛も祈りもすべてはスピードの中へ―本当の思考はある種の速度が生み出す興奮の中で初めて意味を成す、それは俺の為のオリジナルのフローチャートであり、全貌は明らかにはされない、というか、それ自体はまるで明かされることはない、確かに俺の中で生まれ、俺が作成し続けてきたものだが、それは意識下で確認出来るようには作られていない、アンドロイドを動かすプログラムのようなものだと言えば理解してもらえるだろうか、とにかくそのもの自体を俺が解きほぐして理解するというようなことは出来ない、そんなことをすれば俺のこれまでの人生そのものも無意味なものになってしまうだろう、俺のこれまでの人生がどれほどのものだったかというのはまた別の問題だ、とはいえ、少なくともこうして書き続けるだけの意地と力はあったわけだ、ということは、あらゆるものが更新され続けているということでもある、現行のプログラムだ、構築されたのは前時代かもしれないが、新しい血を入れながら古い心臓は脈を打ち続けている、止まるな、指を動かし続けろ、考える暇を与えてはならない、それが生まれたら望むべきものは鮮度を落としてしまう、FIのレーサーに自転車レースをさせるようなものだ、レースに限らず、それが一番適しているスピードというものが必ずある、優れたものは等しく一定のリズムによって描かれていると俺は考えている、誰にだってあるはずだ、潜在的に望んでいるスピードというものが…そういうものではないのか?書くということは、自らの手によってなにかを放出するということなのだ、それが撃ち出されることによって、まとわりついた余計なものが振り解かれて精神と肉体が自由になる、それは入口に過ぎない、そこから始まる、エンジンが温まり、どれだけ回しても大丈夫な状態になる、アクセルは手元にも足元にもない、加速はすべて脳内で行われる、その思考に対応出来るだけの反射神経、それから指先の鋭敏さが必要になる、リズムを乱すべきではない、リズムがキープされたままに思考しなければならない、ここに書かれようとしているものは論文ではない、生体の信号がもっとも正直なかたちで記録されなければならない、つまりそれは、俺という人間の最も綿密な自己紹介のようなものになる、つまり、詩人は死ぬまで自己紹介をし続けるのだ、俺はこういうかたちだと―魂のレベルを曝し続けるのだ、それは連綿と続く流れへの貢ぎ物になるのかもしれない、俺たちは所詮、大きな流れに巻き込まれてやがて沈んでいく木の葉かもしれない、でも、この流れにおいては俺たちは完全に個であることが出来る、混じりっ気のないひとつの存在として言葉を放つことが出来る、その純度が詩の価値を決める、宝石みたいなものさ、原石としてはそこらにゴロゴロしてる、でもその土を掃い、価値を見極め、カットを施すのは人間の手腕だろう、転がっているだけなら石以上の意味はないのだ、大切なのは、自分自身でそれを明らかにすることだ、それには決まった価値などない、紙幣のように明示される基準などない、妙な工作を施す必要はない、ただ全力で書き上げて曝せばいい、あとは誰かが勝手にやってくれる、大事なのは確実に自分にとって最良のスピード、最良のリズムの中でそれを書き続けることなのだ、内容なんてどうだっていい、指先は勝手に動く、思考の奥深くにある領域の言葉たちを、それと知覚する前にディスプレイに投げつける、俺はディスプレイを睨みながら表示される文字列を追い、その時初めて自分が何を書いているのかを知る、思考は指先の後だ、雷のようなものだ、光の後に音が来るようなものだ、それと凄く似ている、現象だけじゃない、それを受け取った時の感触だって…それは俺の身体の中を駆け巡る稲妻の記録なのだ、そう、肉体が先にそれを感じる、肉体は感触として言葉を知る、人の感情は身体の中を駆け巡っているだろう、だから、肉体の方がそれを先に整理することが出来るのだ、これは嘘じゃないぜ―歩いている時にあれこれと思いつくことがあるだろう、考えているだけじゃ駄目なのさ、それを呼び起こすような行動が必要になる、感情を消化するのは肉体なんだよ、身体のあちこちで整理された感情が思考の中でまとめられているんだ、そうさ、鼓動―リズムとスピード、それから、それらを確実にキャッチするアンテナ、それを瞬時にタイプする指先、すべてが同じものをとらえていないとビートニックの末端の連中のような下らないお遊びみたいになってしまう、心技体というものがあるだろう、つまり詩というのはそいつ自身の流派でなければいけないということなんだ、好きな詩や憧れる詩など関係なく、自分自身の一番正直なところから出てくるものをいかに正確に並べられるのかということなのさ、言葉は引き摺り出されるだけだ、そいつが何を書いているのかなんて俺だってすぐには理解出来ない、スピードの持続と加速、感情のように文体が動かなければならない、俺はきちがいのようにキーボードをタイプする、長い間そうやって生きて来た、飽きたって不思議はないくらい長くね、でもいつだって、いまだって、初めて書くときのような奇妙が興奮がこの身体を支配するのさ、さあご覧あれ、俺にしか出来ない変り種のショーだよ。